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1月30日の子供料理教室の報告

本年最初の子供料理教室は、冷たい雨が降る1月最後の土曜日に開かれました。今回は、小さなお子さんから小学生の子供たちまで、お母さんお父さんも一緒に参加して、会場の牧師館はにぎやかな雰囲気に包まれました。

 

この日みんなで作ったのは、フィンランドのオートミール・パンとデザートのフルーツ・ヨーグルトです。

お祈りをしてから子供料理教室はスタートします。まず、パン生地に入れる材料を説明してから、3つのグループに分けてパンを作り始めました。小麦粉の量を正確に計って、材料をボールに入れて、よく混ぜます。柔らかくなった生地を2つに分けて鉄板に載せ、今度は手で生地を伸ばします。生地が手にくっついて、手を洗いたいよ、という声も。それでもみんな、パンを丸い形にして鉄板の上で伸ばし広げて、オーブンに入れました。

テーブルを片つけて、今度はフルーツヨーグルトを作ります。バナナ、リンゴ、缶詰の桃を小さく切って、ヨーグルトに混ぜます。お昼が近づいてきて、お腹がすいたよ、もう食べたいよ、という声も聞こえましたが、みんなデザートが出来るまで頑張りました。

オートミールパンを焼いている間、みんなで子供讃美歌を歌って、フランネルの聖書劇「木に登ったザアカイ」(聖書のルカ19章1~10節)を一緒にみました。イエス様はイチジクの木に登ったザアカイに向かって叫びました。

2006-09-08 by MMBOX PRODUCTIONMMBOX PRODUCTION

「ザアカイ、急いで降りてきなさい。今日は、あなたの家に泊まりたい。」ザアカイにとって、イエス様に出会ったこの日は人生の中で最も大切な日になりました。ザアカイは喜んでイエス様を迎えました。私たちもイエス様に出会うと、ザアカイと同じように大きな喜びを心の中に持つことができます。この喜びは神様からいただくものですので、神様に感謝しましょう。

フランネル劇が終わると、ちょうど焼きたてのオートミールパンの香りが拡がってきました。テーブルのセッティングをして、食前のお祈りをして、さあ、いただきましょう!オートミールパンにバターをぬって食べ始めます。最初、「美味しい、美味しい」という声がしたかと思ったら、すぐ静かになって子供たちは食べるのに黙々と集中。それを大人たちが微笑ましく見守ります。「なんだか大きな家族みたいね」というお母さんも。寒い外とは対照的な暖かい一時をみんなで分かち合うことができました。

次回の子供料理教室は3月に予定しています。詳しい案内は追ってお知らせします。どうぞ教会のHPをご覧下さい!

 

説教「主イエスは最後まで共にいて下さる」神学博士 吉村博明 宣教師、ルカによる福音書9章28-36節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1. はじめに

 本日は、教会の暦では1月に始まった顕現節が終わって、来週からイースターに向かう四旬節が始まる前の節目にあたります。福音書の箇所はイエス様が山の上で姿が変わるという出来事についてです。同じ出来事はマタイ17章、マルコ9章にも記されています。マタイ17章2節とマルコ9章2節では、イエス様の姿が変わったことが「変容した(μετεμορφωθη)」という言葉で言い表されていることから、この出来事を覚える本主日は変容主日とも呼ばれます。

三つの福音書に同じ出来事が記されていますが、よく読んでみると記述がそれぞれ若干異なっていることに気づかされます。しかしながら、さらに読み込んでいくと、そうした違いは本質的なものではなく、むしろ、お互いを補い合っていて、三つをちゃんと読むと同じ出来事の全体像がよりよくわかってくることに気づかされます。全体像がわかるための違いであると言ってよいと思います。具体的に申しますと、マルコとマタイでは、ルカに比べてイエス様の輝いた姿が詳しく述べられている反面、出来事全体の記述はそれほど詳しくありません。出来事全体の記述は、ルカの方がマルコ、マタイに比べて詳しいです。

 本日の箇所に出てくる「山」について、マタイやマルコの記述では「高い」山と形容されています。マルコ8章27節をみると、イエス様一行はフィリポ・カイサリア近郊に来たとあります。それから山の上の出来事までは大きな地理的な移動は述べられていません。もし一行がまだ同じ地方に滞在していたとすれば、この高い山はフィリポ・カイサリアの町から30キロメートルほど北にそびえるヘルモン山と考えられます。

 このヘルモン山について、以前の説教で2700メートル位と申し上げたのですが、2814メートルの誤りでした。この場を借りて訂正いたします。どうして間違えたかと言うと、言い訳になってしまいますが、その時見た地図には9230フィートと記されていて、私は1メートル=3,4フィートと間違えて記憶していて、それで計算してしまいました。1メートルは3,28フィートでした。それで計算し直したら、2814メートルとなりました。実際、メートルで高さを記した地図を見つけ、それも2814メートルでした。2700メートルなら日本の白山と同じくらいだなどと申したのですが、これも訂正しなければなりません。2814メートルでしたら、ちょうど北アルプスの五竜岳と同じ標高です。ただ、インターネットの写真を見てみると、ヘルモン山はなだらかで急峻な感じはありませんでした。頂上は現在のレバノンとシリアの国境上にありますが、山域はイスラエルまで及んでおり、冬はスキー場も開設されてスキー客で賑わう様子もネットで見ることができました。

 山もこれくらいの高さになると、頂上からは雲海を見下ろすことが出来ます。雲海が乱れて雲が頂上を覆うと、頂上は濃い霧のただ中になります。本日の福音書の箇所の記述を注意して読むと(33-34節)、雲の出現はとても速いスピードだったことが窺えます。ペトロが、「仮小屋」を3つ立てましょう、と言ったすきに頭上を覆ってしまうのですから。高い山の頂上が突然雲に覆われて視界が無くなったり、そうかと思うとすぐに晴れ出すというのは、何も特別なことではありません。そういうわけで、本日の箇所に現れる雲は、このような自然界の通常の雲で、それを天地創造の神が利用したと考えられますし、または、神がこの出来事のために編み出した雲に類する特別な現象だったとも考えられます。どっちだったかはもはや判断できませんが、この件は判断しないままにしても、本日の箇所の解き明しには何の支障もありません。

 
2.

 本日の福音書の箇所の出来事は幻想的かつ劇的ということができま(「幻想的」と申しましたが、「幻想」とは申しませんので御注意下さい)。山の上で一体何が起こったのか、ルカの記述を中心にマタイやマルコの記述にも注意しながら見ていきましょう。

イエス様は祈るために山に登られました。イエス様が祈る場所に山の上を選んだことは他にもあります。ルカ6章によれば、山の上で一人一晩祈り明かした後で12弟子を選んだことが記されています(12節)。マタイ14章とマルコ6章によれば、5千人の人たちの空腹を僅かな食糧で満たすという奇跡を行った後でイエス様は一人で山の上で夜明けまで祈られました(それぞれ23節、46節)。その後で、ガリラヤ湖上で逆風に煽られて舟をこげなくなった弟子たちを助けに行ったのです。この二つの山は、ガリラヤ湖近辺にあるので、ヘルモン山のような高い山でなく丘陵と言ってよいでしょう。イエス様が一人で何を祈られたかは、記録がないし、そもそも同行者がいなかったのでわかりません。

それでも、十字架にかけられる前日にオリーブ山のゲツセマネでしたお祈りの内容は知られています(マタイ26章、マルコ14章、ルカ22章)。もうすぐ、全ての人間の罪を償う犠牲の生け贄になる、そうすることで人間が神の怒りや罰を受けないで済むようにする、そうして人間が神との結びつきを取り戻せて、死を超えた永遠の命を持てるようになる、そういうことを実現するために神のもとからこの世に送られてきたのだが、これから受ける苦しみに果たして耐えられるかどうか不安に苛まれてしまった。避けられれば避けたい、しかし行わなければならない、そういう苦悩をイエス様は父なるみ神に包み隠さず打ち明けます。そして最後は、「あなたの御心がなりますように」と祈って覚悟が与えられ、立ち上がって十字架の道に進んで行きます。

イエス様が他の祈りの場所で何を父なるみ神にお祈りしたのかは不明ですが、少なくとも、神がイエス様に持っていた計画を明らかにするように、そしてそれを行う力を与えてくれるようにということはあったでしょう。

本日の出来事ではペトロ、ヨハネ、ヤコブの三弟子の同行者がいましたが、イエス様のお祈りの内容は伝えられていません。32節をみると、三人は「ひどく眠かった」とのことで、これは2800メートル級の山をロープウェイやケーブルカーを使わずに麓から登れば疲労困憊になるのは当然でしょう。ああ、イエス様は何かを祈っておられるな、と眠い目には映っているが、何を祈っているのかはもう聞き取れない。ところが、祈っている最中のイエス様の様相が急に変わった。「顔の様子が変わり、服が真っ白に輝いた」(29節)、そして、その輝きは「栄光に輝く」(32節)ものだった。

それだけではありません。気がついてみると、どこから現れたのか、二人の人物がいて、一緒に話しをし始めたではないか?その二人もイエス様と同じように「栄光に包まれ」ています(31節)。三人の弟子は、体は重く疲れたままですが、興奮が入り込んで次第に眠気が引いて行きます。話声も耳に入ってきました。聞いていると、この二人はかつての偉大な預言者モーセとエリアだということがわかってくる。ところで、このモーセとエリアは一体何なのだ?ルカ24章を見ると、死んだ人間が目の前に現れると幽霊とか亡霊と理解されるのは、彼の地でもあったようです。ルカ24章では、復活したイエス様が鍵を閉めてあった家の中に突然入って来たのを見て弟子たちがパニックに陥りました。しかしながら、山の上で三人の弟子たちはそうなりませんでした。恐らく、目の前に現れたモーセとエリアは父なるみ神の力によって再臨をした者という理解があったからだと思います。当時、特に律法学者の間で、エリアがいつか再臨するということが信じられていました(マタイ17章10-11節、マルコ9章11-12節)。加えて、ペトロがモーセとエリアのためにも「仮小屋」を建てます、と言ったのも、神の力によって再臨したという理解があったことを示しています。「仮小屋」というのは、ギリシャ語のスケーネー(σκηνη)ですが、正確な訳は、神に礼拝を捧げる場所の「幕屋」を意味します。ペトロはイエス様に加えてモーセとエリアのためにも礼拝を捧げる場所を建てると言ったわけです。幽霊や亡霊にそのようなものを建てる言われはありません。

さて、モーセとエリアが近々エルサレムでイエス様が行なわなければならないことを知らせると、二人はイエス様のもとを「離れ」出しました。文章では「二人がイエスから離れようとしたとき」と書いてありますが、歩いて立ち去ろうとしたのか、空に上げられるように去ろうとしたのか、姿が消えるようにしてなのか、ギリシャ語の言い方からでは全くわかりません(εν τω διαχωριζεσθαι)。どんな仕方であれ、とにかく、二人の大預言者とイエス様の間に距離が開きはじめた。それが見て取れた。まさにその隙をとらえて、ペトロがイエス様の方を向いて、イエス様とモーセとエリア三人のために礼拝を捧げる幕屋を三つ建てます、と言ったのです。三人の話しが終わって、そのうち二人と一人の間の距離が開き出したその時です。

この、ペトロが幕屋の提案を述べている、ほんの10-20秒程の間に突然雲が現れました。雲は、ペトロたちの側からみて、あっと言う間にモーセとエリアとイエス様の頭上に覆いかぶさりました。34節を見ると「彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた」とあります。ギリシャ語原文を見ると、イエス様、モーセ、エリアの三人は雲の中に包まれていくというよりは、雲の中に入って行った(εν τω εισελθειν αυτους)、つまり雲の中に乗り込んでしまったのです。弟子たちが恐怖を抱いたのは、得体の知れない雲が現れたということより、雲がイエス様から離れつつあったモーセとエリアだけでなく、イエス様をも取り込んでしまったことによるのです。

まさにその時です。その雲の中から、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という、父なるみ神の声が響き渡りました。この声が響き渡った後で、弟子たちが顔を上げると、目に入って来たものは、そこに一人立つイエス様だけでした。あの、様相が変わる前のいつものイエス様がそこにおられました。もうモーセもエリアも雲もなくなっていました。全てもとに戻っていました。本当にあっという間の出来事でした。全てもとに戻ったとは言っても、この出来事があったがゆえに、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」という神の声は、今目の前におられる方を指すことがはっきりしました。また、ペトロにとっては、モーセやエリアに礼拝を捧げる必要などないこともはっきりしました。

 
3.

 以上、山の上で起きた出来事を書かれたものに基づいてできるだけ忠実に再現してみました。幻想的でかつ劇的な出来事ですが、天の父なるみ神の意思や計画がはっきり伝わってくる出来事だと思います。神の意思や計画というのは、イエス様に対してだけでなく私たち人間に対して両方のものです。以下、そのことについて見てみましょう。

 まず、イエス様の変容について見てみましょう。ルカ福音書では、「イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた」と記述されています。「顔の様子が変わる」というのは、顔つきが変わったとか、顔色が変わったということではありません。「顔」と言っているのは、ギリシャ語のプロソーポン(προσωπον)という言葉が下地にありますが、実は、この言葉は「顔」だけでなく、「その人自身」も意味します。つまり、山の上でのイエス様の変容は、イエス様全体の外観が変わったのであり、一番顕著な変容は「服が真っ白に輝いた」ということです。マルコ福音書9章では、この白さがこの世的でない白さであると、つまり神の神聖さを表す白さであることが強調されます。ルカ9章32節でイエス様が「栄光に輝く」と言われていますが、これは神の栄光です。この変容の場面で、イエス様は罪や不従順の汚れに全く染まっていない神聖な神の子としての本質をあらわにしたのです。

 「フィリピの信徒への手紙」2章の中に、最初のキリスト信仰者たちが唱えていた決まり文句を使徒パウロが引用して書いています。それによると、「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になりました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした」(6-7節)。イエス様がもともとは神の身分を持つ方、神と同質の方であることが証されています。「ヘブライ人への手紙」4章には、イエス様が「わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、あらゆる点において、わたしたちと同様に試練に遭われた」(15節)と言われ、この世に送られて人間と同じ者となったが、罪をもたないという神の性質を持ち続けたことが証されています。そういうわけで、ヘルモン山の上でイエス様に起きた変容は、まさに罪をもたない神の神聖さを持つというイエス様の本質を現わす出来事だったのです。

そうすると、イエス様はこの時、「雲」に乗ってモーセとエリアと一緒に天の父なるみ神のもとに帰ってもよかったのです。その意味であの「雲」は、ひょっとしたらお迎えの「雲」だったかもしれないのです。イエス様は、もともとからして罪を持たない神の神聖さを持つ方なので、何の問題なしにそのまますんなり天の神の御国に入れた筈です。モーセとエリアの場合は、御国に入れるようになるために神によって変えてもらわなければなりませんでした。31節でモーセとエリアは神の「栄光に包まれて現れ」(οφθεντες εν δοξη)と言われていますが、これは、彼らが神から栄光を輝かせてもらって、それを受けて光っているということです。イエス様の場合は32節で言われるように、彼自身が「栄光に輝く」、つまり神と同じように自ら輝かせることができる栄光(την δοξαν αυτου)を持っているということです。本当にイエス様はお迎えの「雲」に乗って、そのまま天の御国に帰ればよかった。それなのに、私は行かなくてもいい、と言わんばかり、せっかく乗りかけた「雲」から降りてしまって、何を好き好んでか、この地上に留まることを良しとすると決められたのです。なぜでしょうか?

それは、私たちも神の栄光を受けて光ることができるようになって、いずれは神の御国に迎え入れられるようにするためでした。それをするためには、受難の道を歩んでゴルゴタの丘の十字架にかからなければならなかったのです。

人間は最初の人間の堕罪の出来事以来、罪を内に宿すこととなって、神の栄光を失ってしまいました。人間はこの罪の汚れを除去しない限り、自分の造り主である神と切り離された状態で生きることとなり、この世から死んだ後、自分の造り主のもとに戻ることができません。しかし、人間がこの汚れを除去できるというのは、神の意志を100%体現した神聖さを持たなければなりません。しかし、それは不可能なことです。そのことを使徒パウロは「ローマの信徒への手紙」7章で明らかにしています。神の意志を現わす律法というものがあるが、その掟は人間が救いを勝ち取るために満たしていくものというより、人間が神の意志からどれだけ離れた存在であるかを思い知らせるものなのです。イエス様も、「汝殺すなかれ」という掟について、ただ殺人を犯さなければ十分ということにはならない、兄弟を罵っても同罪だと教えました(マタイ5章21-22節)。「姦淫するなかれ」という掟についても、行為に及ばなくても異性を淫らな目で見たら同罪と教えました(同27-28節)。詩篇51篇のなかで、ダビデ王は神に「わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めて下さい」(4節)、「わたしを洗ってください 雪よりも白くなるように」(9節)と嘆願の祈りを捧げています。これからも明らかなように罪の汚れからの洗い清めは、もはや神の力に拠り頼まないと不可能なのです。

 そこで神は、できない人間にかわって人間を罪の汚れから洗い清めてあげることにしました。神は、それを人間の罪を「赦す」ことで成し遂げました。「赦す」というのは、罪をしてもいいとか許可するという意味ではありません。神は自分の神聖さと相いれない罪の汚れを忌み嫌い、それを焼き尽くしてしまうことも辞さない方です。しかし人間も一緒に焼き尽くすことは望まれなかった。それでは、「赦す」ことが、いかにして人間の洗い清めになったのでしょうか?

 神は、ひとり子のイエス様をこの世に送り、本来人間が背負うべき罪の罰を全部彼に負わせて十字架の上で死なせました。つまり、神に対する罪の償いを全部イエス様にさせたのです。イエス様は言わば、これ以上のものはないと言えるくらいの神聖な犠牲の生け贄になったのです。この尊い犠牲のおかげで、人間が罪の罰や罪の支配状態から解放される道が開かれました。神は、イエス様の身代わりの犠牲に免じて、私たち人間の罪を赦す、不問にするとおっしゃるのです。それだけではありません。神は、イエス様を死から復活させることで、死を超えた永遠の命への扉を私たちに開いて下さいました。人間は、これらのことが自分のためになされたとわかり、イエス様を救い主と信じて洗礼を受けると、この神が整えた「罪の赦しの救い」を受け取ることができるのです。

このように、イエス様が「雲」に乗って天の御国に帰らないで、地上に残られたのは、私たち人間が「罪の赦しの救い」という贈り物を受け取ることができるようにするためでした。この贈り物を受け取って、それを大事に携えて生きることで、私たちも神の栄光を受けて光ることができるようになれる。そして、いざ、この世を去る時が来たら、神に自分の全てを委ねることができて、神の方でしっかり受け取ってもらえるようになれる。まさにそのためにイエス様は、受難の道を歩んでゴルゴタの丘の十字架にかからなければならなかったのです。

ところで、復活されたイエス様は天に上げられました。今は天の父なるみ神の右に座しています。そして、今のこの世が終わりを告げて、新しい天と地が創造される時に再臨すると約束されました。マタイ福音書の終わりで、復活の主は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(28章19節)と言われますが、今天の父なるみ神の右に座している方がどうやって、私たちと共にいて下さるのでしょうか?

それが本当に共にいて下さるのです!洗礼を受けて「罪の赦しの救い」の贈り物を受け取った者は皆、自分からそれを捨てない限り、その贈り物を大事に携えて生きる限り、イエス様を自分の救い主として確実に持っています。小さな子供の場合は、両親の信仰告白に支えられてイエス様を持っています。大人になって自分で信仰告白をするようになれば、両親から独立して救い主イエス様を持ちます。イエス様を救い主として持てるのは、聖霊が働いているおかげです。

さて、両親に支えられていても、また独立していても、信仰に留まる者が聖書の御言葉を読んだり聞いたりすると、それはただイエス様が救い主であることを絶えず思い起こさせる神の声、イエス様の声そのものです。さらに両親から独立して聖餐式のパンとぶどう酒を受けると、それは受ける人にとってイエス様が救い主であることを御言葉と一緒に強めてくれます。

さらにイエス様は、私たちの祈りを、声に出る祈りも、声にならないため息も、全て聞き遂げて父なるみ神に取り次いで下さって、全てのことを神の御心に適うように祝福されたものに変えて下さいます。まことにイエス様は、この世の終わりまで、そして私たち一人一人の人生の終りまで、いつも共にいて下さるのです。兄弟姉妹の皆さん、このことを忘れないようにしっかり歩んでまいりましょう。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように
アーメン


主日礼拝説教 変容主日
2016年2月7日の聖書日課 申命記34章1-12節、第二コリント4章1-6節、ルカ9章28-36節

説教「罪の自覚」神学博士 吉村博明 宣教師、ルカによる福音書5章1-11節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

 私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.

 舟も沈まんばかりの大量の魚。それを見たペトロは、イエス様に「私から離れて下さい!私は罪びとなのですから!」と叫んでしまう。なぜペトロはこの時、自分は罪びとであると罪の告白をしたのでしょうか?9節をみると、夥しい大量の魚をみて恐れおののいたことが、そう告白するに至った原因のように書かれています(θαμβος γαρ περιεσχεν αυτον […….] επι των ιχθυων […..])。それでは、ペトロは大量の魚を見て何を恐れたのでしょうか?そして、恐れることがどうして罪の告白になったのでしょうか?本説教では、まずそのことを見ていきたいと思います。

イエス様はガリラヤ湖の岸辺で群衆に教えを宣べています。教えの内容については触れられていませんが、4つの福音書の記述から、次のような内容であったと推察できます。つまり、神の国がイエス様と一体となって到来したこと、神の国の一員として迎え入れられるために人間は罪の赦しを受けなければならないが、その罪の赦しが間もなくメシアの働きで実現すること、また人間は神の御心を正しく知って悔い改めて神のもとに立ち返る生き方をしなければならないこと、これらのことが考えられます。

 岸辺には大勢の群衆が集まってイエス様の教えを間近で聞こうと、どんどん迫ってきます。イエス様のすぐ後ろは湖です。その時、イエス様は岸辺に漁師の舟が二そう止まっているのを目にします。ちょうど漁師が舟から降りて、向こうで網を洗っているところでした。イエス様は、ペトロの所有する舟に乗って、彼に命じて岸から少し離れたところまで漕がせて、今度は舟から岸辺の群衆に向かって教え続けました。ひと通り教えた後で再びペトロに、もう少し沖合まで漕いで、魚を捕るべく網を投げるよう命じます。

 ところがペトロは、夜通し頑張ったが何も捕れなかった、と応じます。夜の暗い時というのは、魚捕りに最適な時なので、それでも何も捕れないのであれば、日中明るい時はなおさら捕れないではないか。ペテロの応答にはイエス様の命令に対する懐疑が窺われます。しかし、それでも、あなたのお言葉ですから網を投げ入れてみましょう、と言って言う通りにします。この時ペトロはイエス様のことを、上に立つ者、指導的立場にある者を意味する言葉エピスタテースεπιστατηςと呼んでいます。新共同訳では「先生」となっていますが、「先生」を意味する言葉はディダスカロスδιδασκαλοςという言葉が別にあります。ペトロにしてみれば、漁をやめて網を洗っていたのに突然人の舟に乗り込んできて漕ぎなさいと命じたり、教え終えると今度はもっと沖に出て網を入れなさいとか、いろいろ命令ばかりする人だな、やたらと指導者ぶる人だな、という思いが言葉遣いに見て取れます。少し皮肉った言い方で、「お偉いさん」という意味だったのかも知れません。そうは言っても、イエス様は既にガリラヤ全土で権威ある教えと奇跡の業によって名声を博している方です。言われたことを断ることもできません。

無理に決まっているじゃないか、という思いで網を入れたところ、大変なことが起きました。網も破れんばかりの夥しい量の魚がかかりました。もう一隻の舟が応援にかけつけるも、このままでは二隻とも沈んでしまう位の量の魚で舟は溢れかえります。文字通り想定外の出来事が目の前に起こり、恐れを抱いたペトロは叫びました。「私から離れて下さい!なぜなら私は罪びとだからです!」その時ペトロは、イエス様のことを先ほどの少し皮肉の混じった「お偉いさん」と呼ばず、今度は一挙に神を言い表す言葉キュリオスκυριος「主」と呼びます。ペテロの罪の告白は、神に対する告白となったのです。最初のぶつくさ言うような感じから、一挙に背中がピンと張って目が覚めて真剣そのものに激変した感じです。

それでは、ペトロは何に恐れを抱いたのでしょうか?そして、どうしてその恐れから神に罪の告白をするようになったのでしょうか?ペトロが恐れたのは舟が沈んで自分が溺れてしまうことではありませんでした。ペトロが金槌でなかったことは、ヨハネ21章から明らかです。ペトロが復活したイエス様に真っ先に会おうとして上着を着けたまま水に飛び込んで岸まで泳ぐ場面がありました。ここでペトロが恐れたのは、いま目の前に起きている信じられない光景の中に神の力が働いたことをみたからです。神の力が働いたのをみたということは、神が自分の間近にいた、ということです。

神を間近に見ることが人間に罪の自覚と呼び覚まして、大きな恐れを抱かせることは、イザヤ書6章によく描かれています。ユダ王国が国王から国民までこぞって神の意思に反する道を歩んでいた頃でした。預言者イザヤはエルサレムの神殿で神を目撃してしまいます。その時、イザヤは次のように叫びました。「私など呪われてしまえ。なぜなら私は破滅してしまったからだ。なぜなら私は汚れた唇を持ち、汚れた唇を持つ国民の間に住む者だからだ。それなのに、私の目は万軍の主であり王である神を見てしまったのだから(4節)」(ヘブライ語原文に忠実な訳)。まことに罪の自覚の悲痛な叫びです。ここでは、神聖な神と汚れに満ちた人間との間の絶望的な隔たりが一挙に示されます。神の神聖さには、あらゆる汚れを焼き尽くしてしまう強力な炎のような力が満ちています。それでイザヤは、神殿の祭壇にあった燃え盛る炭火を唇にあてられます。そして、「お前の悪と罪は取り除かれた」と宣言されます。この時イザヤは火傷一つ負いませんでした。これは、炭火がイザヤを霊的に清めたことを意味します。いずれにしても、人間が真の神を間近に見る場合、その神聖さと全く逆の自分の汚れを思い知ることになり、罪の自覚が生まれます。神は罪と悪を断じて許さず、焼き尽くすことも辞さない方ですので、神を間近に見てしまった時に強い恐れが生じるのは当然なのです。

 
2.

 私たちにも、神を間近に見たり感じたりして罪の自覚が生まれるということが起きるでしょうか?私は、人間が死に直面してこの世から去るのを目前に控えた時というのは案外、神を間近に感じて罪の自覚が生まれる時ではないかと考えるものです。どうしてそのように考えるのかと言うと、以前読んだことのあるスウェーデンの小説にそのような出来事があったからです。スウェーデンという国は、日本ではノーベル賞や大規模な家具チェーン店の国として知られていますが、国民の60%強がルター派教会に属している国です。国民の半数以上と言うと多く聞こえますが、実は数十年くらい前はほとんど100%近かったのです。それ位、国民の教会離れが近年進んでいるということです。

さて、問題となっている小説ですが、それは「グルンドゥステーネンGrundstenen」という題名で、日本語にしたら「岩盤」という意味でしょうか。作者は、1960年代から70年代にかけてスウェーデンのルター派教会のイェーテボリ監督区の監督を務めたB.イェールツという神学博士です。もう既に亡くなった人です。神学者の書いた小説ですが、第二次大戦後のスウェーデン文学界の代表作の一つと言われています。

話しを先に進める前に少しだけ小説の内容を紹介しますと、オーデショーという架空の村が舞台で、1809年から1939年までの130年に渡る村の歴史に、形を変えつつも、いつも繰り返し起きる出来事が主題になっています。それは、村の教会に赴任した牧師と村の人たちがいかにルター派の信仰を守る戦いをしたかということです。

130年の歴史は三つの時代に分かれていて、第一部は、ナポレオン戦争の時代にスウェーデンがロシアとの戦争に敗れてフィンランドを失うという時代背景のもと、牧師たちも当代の知識人と同じく啓蒙主義の影響を強く受けていて、信仰よりも理性を重んじる風潮の中での話です。第二部は1870年代で、村からも多くの人たちがアメリカに移民するという社会変動の時代。その頃、キリスト教のいろんな宗派がこの村にも入って来て、多くの村人たちがルター派に魅力を感じなくなって離れてしまい、そうした宗派に流れて行ってしまうという状況の中での話です。第三部は1930年代に国民の教会離れ聖書離れが進み、個人の生き方も神など引き合いに出さず個人が自由に決めればよいという風潮が強まり、それが性のモラルにも現れてくる。やがて第二次大戦が始り、隣国フィンランドがソ連に攻撃されると中立国のスウェーデンから8000人もの義勇兵が出征する。第三部に登場する問題人物もその一人として前線に赴き、彼の戦死の報を牧師が受け取ったところでこの年代記のような小説は終わります。

それぞれの三つの時代の中で教会が直面した三つの挑戦、理性の偏重、教派や宗教の百花繚乱、個人の自由追求やそこから起こる性モラルの乱れといったものは、実は今の時代にも全部当てはまるのではないでしょうか?

一つ余計なことを付け加えると、作者のイェールツという人はスウェーデンのルター派教会の聖書離れに警鐘を鳴らし続けた人で、彼のキリスト信仰に関する多くの著作はフィンランド語にも訳されて、スウェーデンとフィンランド両国のルター派のリバイバル運動に大きな影響を与えました。両国の牧師の中には、この小説を読んで牧師を志したという人もいるほどです。

さて、話を本筋に戻します。死に直面した人間がこの世を去るのを目前にする時というのは、神を間近に感じて罪の自覚が生まれる時ではないかということについてです。グルンドゥステーネンの第一部に次のような出来事があります。村のヨハンネスという老人が重病で、もう死期が近づいているという時に、意識ははっきりしているが半狂乱のようになってしまう。彼は毎週教会の礼拝に通う敬虔な人と思われていたのだが、突然自分はとんでもない罪びとだった、自分が神に受け入れられないのは確実だ、と言い始めて、周りの人たちのどんな慰め言葉も受けつけない状態になってしまった。そこにウプサラ大学神学部を出たての新米牧師が送られてきた。牧師が老人に、神は良い方だから何も心配いらない安心しなさい、といくら言っても、話が全然かみ合わない。老人は、そう、神は良い方だというのは全くその通りである、神は本当に自分に良いものを与え続けて下さった、それなのに自分はそれに応えるように生きてこなかった、心の中で隣人を罵ったり嘲ったりした、困っている人がいた時に助けてあげなかった、その人のために祈ってあげなかった、自分は神の期待を裏切ることばかりしてきた。良いことをしなければならないとわかっていたのにしなかったのは、神がその力を与えて下さらなかったということで、その時既に神に見放されていたのだ、等々。

ヨハンネス老人が苦にしている罪とは、盗んだとか殺したとか姦淫したとか、そういう行為に出る重大なものではなく、心の中のレベルの問題でした。しかし、そのようなものでも、神は裁きの根拠にする。そこで牧師が、「あなたは私が会った人の誰よりも正直な人です。だから、あなたは他の誰よりも確実に天国に行けると牧師の私がはっきり言います」と言う。新米牧師は、老人を本当に励ますつもりでこの言葉を言ったのですが、効果は全く逆でした。老人は、「罪を裁く時、裁く者は他の人の罪と見比べて裁きを決めるものではない」と冷たく答えます。神は人間の行いを全部命の書に記録するのであり、今自分の書が開かれようとしている。そこに記されている罪について、神に申し開きなどできるわけがない。牧師はもう何も言えなくなって途方に暮れてしまいます。

ヨハンネス老人の苦悩は、これからこの世から退場する時、退場した瞬間父なるみ神にしっかりキャッチしてもらえるかどうか、もう確信が持てなくなってしまったことにあると言えます。どうして確信が持てなくなってしまったかというと、キャッチしてくれる方はどんな方なのか、聖書に基づいて罪を裁く方である、ということが、かつてないほどはっきりしてしまった。神はキャッチしてくれないと言うならば、自分のどんな罪が原因なのか?心の中の罪は行いの罪より重くはないと言って、それでキャッチしてもらえると安心して良いのか?新米牧師の論理はそういうことになるのですが、牧師の言うことは本当に神の御心を間違いなく代弁しているのか?神の御心と関係のない人間の都合で言っているのではないか?いずれにしても、神にキャッチしてもらえるかどうか、その心配や疑いが一切なくなる一番よい方法は、行為にせよ心の中にせよ、罪を一切犯さないことなのであるが、それは不可能だった。

このようにして、この世から旅立つ時、いよいよ自分を受け止めて下さる方が目の前に現れるという時が近づいて、さて本当に受け止めてもらえるのかどうか、不安が起きて確証が得られなくなってしまう原因に罪の自覚があると言えます。ヨハンネス老人は果たして救われるのでしょうか?

 

3.

 牧師が途方に暮れているところに、カトリーナという年老いた女性が到着します。幼馴染で若いころ同じ村に住んでいて一緒に聖書を学ぶこともしたという人で、別の村に引っ越した後はそこでかなり古い世代に属する牧師の下で聖書を学んだという人でした。以下はカトリーナとヨハンネスのやりとりの抜粋です。

ヨハンネスがまた、自分は罪人だ、偉大な罪びとだ、と言うと、

カトリーナ「その通り。あなたは偉大な罪びとよ。しかし、イエス様はそれを遥かに上回って偉大な救い主なのよ。」

ヨハンネス「イエス様が偉大な救い主なのは、ある特定の人に対してだけなのさ。イエス様が救ってくれるがままに任せられる人に対してなのさ。俺の心は不純で悪に満ちてしまっている。」

カトリーナ「健康な人に医者は要らないのよ。要るのは病気の人なのよ。イエス様が来たのも、聖者を招くためではないわ。罪びとを招くためよ。」

ヨハンネス「改心しなければならないということなんだろう、カトリーナ。でも、俺にはその改心が不足しているんだ。」

カトリーナ「あなたに不足しているのは改心ではないわ。信仰よ!あなたは改心の道を何十年も歩んできたのよ!」

ヨハンネス「何十年その道を歩んできたのに、目的地に到達できなかったんだ!」

カトリーナ「ヨハンネス、私の質問に答えて。あなたは自分の気持ちとしては心を汚れのないものにしたいの?」

ヨハンネス「もちろんだとも。清くしたいんだ。この気持は神様も知っていると思う。」

カトリーナ「それなら、あなたの改心は真実だわ。あなたの改心には何も問題はないわ。問題は、あなたは信仰を見失ってしまったことよ。」

ヨハンネス「それじゃ、俺は何を信じなければならないんだ、カトリーナ?」

カトリーナ「あなたが信じなければならないのは、この神の御言葉よ。『自分の業に依り頼むことはせず、神から離れてしまった者を神の目に相応しい者に変えて下さる方を信じる者、この信仰を神は御自分の目に相応しいものとみて下さる。』今日の日までヨハンネス、あなたは自分の業を気にしすぎて、自分の心の中を一生懸命に見て来たのね。その結果、心の中には罪と貧しさしかないことがわかってしまったの。でも、それは神様があなたの目を聖霊の目薬ではっきり見えるようにしたから、真実が見えるようになったということなのよ。ヨハンネス、あなたの心の中に罪はあるの?」

ヨハンネス「もちろんだよ。たくさんあるよ。ありすぎるくらいあるよ。」

カトリーナ「これで、もうわかるでしょ。神様はあなたを見放していないということが。聖霊を持っている者だけが、自分の罪を見ることができるのよ。」

ヨハンネス「それじゃ、カトリーナ、俺の心が汚れていると言うのは、神様のなせる業だと言うのか?」

カトリーナ「あなたの心が汚れているというのは、神様の業ではないわ。それは、罪のなせる業でしょ。あなたが自分の心の汚れを見ることができるといこと、これが神様のなせる業よ。」

ヨハンネス「でも、どうして汚れのない心を得ることはできないんだ?」

カトリーナ「それは、あなたがイエス様を愛することができるようになるためなのよ。」

ヨハンネス「お前の言っている意味がわからないよ、カトリーナ。」

カトリーナ「はっきり言うわ、ヨハンネス。もしあなたが汚れのない心を持てて、そのおかげで天国行きの切符を獲得できたとすると、救い主は何のために私たちに送られたの?もし律法の掟を守ることで一人でも人間が救われるなら、イエス様は十字架で死ぬ必要はなかったんじゃないの?だけど、律法は満たして救われるためにあるのではなくて、神様の裁きと憎しみをはっきりさせるためにあるの。神様はこの神聖な掟をもって全ての人が救いに関して神様に何も偉そうなことが言えないようにしたのよ。この世全てが、恥辱に打ちのめされて呆然と立ち尽くすために。(ヨハンネスに促されて、カトリーナは続ける。)

この御言葉を覚えている?ヨハンネス、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊よ。』」

ヨハンネス「カトリーナ、あの方は本当に俺の汚れた心の中に住む罪をも取り除いて下さるのか?」

カトリーナ「その通りよ。イエス様は、あなたの身代わりになって十字架の上で死なれて、それで全ての罪を償って下さったのよ。」

ヨハンネス「でも、まだ俺の中に罪が残っているじゃないか?」

カトリーナ「そう残っているわ。使徒パウロの中に罪が残っていたのと同じくらいに残っているわ。パウロが何と言っていたか覚えていないの?『私は、自分という肉の存在の中に善いものが何もないということを知っている。善いことをしなければという意思はある。しかし、それを実現する力がないのだ。』」

ヨハンネス「俺のことを言っているみたいだ。」

カトリーナ「私たちのことを言っているんだし、他の全ての人のことも言っているんだわ。御言葉にもあるわ。『彼の受けた傷を通して、私たちは癒された。』イエス様は、私たちとこの世の罪の償いをして下さったのよ。」

ヨハンネス「カトリーナ、その通りだと思うよ。俺はこのことを信じるよ。もう一つ相応しい御言葉があったら、聞かせてくれないか。」

(カトリーナは聖書を取り出して、それを開いて読む。)

カトリーナ 「『全ての者が罪を犯した。そして神の栄光を失ってしまった。しかし、その全ての者が、神の恵みによりイエス・キリストの贖いの業を通して、神の目に相応しい者とされることを贈り物として得たのである。』」

ヨハンネス「アーメン。カトリーナ、このことを信じるよ。」

カトリーナ「今ここで、神様の業がなされたんだわ。さあ、あなたは牧師先生に聖餐式をお願いしなさい。」

 そして病床にて聖餐式がもたれました。ヨハンネスにとってこの地上での最後の聖餐式となりました。ところで、私たちの礼拝と聖餐式ですが、まず礼拝の初めに罪の告白と赦しの宣言があります。続く説教の部では神の御言葉を通して、神がいかに罪びとを御自分のもとに受けとめたく思って、それでイエス様をこの世に送って、救いの業を成し遂げて下さったことを明確にします。このように、聖餐式の前にも神の業が私たちにしっかり働くようにします。そして、聖餐式それ自体が、私たちの信仰を強めて育ててくれて、私たちがこの世を去る時、父なるみ神が私たちを間違いなくキャッチしてくれることを疑う必要がなくなるようにしてくれます。そういうわけで、兄弟姉妹の皆さん、このように礼拝、特に聖餐式が私たちの救いにとって本当に大事なものであることを忘れないようにしましょう。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン


主日礼拝説教 顕現節第四主日
2016年1月24日の聖書日課 ルカ5章1-11節、エレミア1章9-12節、第一コリント12章12-26節

説教「肉眼ではない信仰の目を通してイエス様を見る」吉村博明 宣教師、ルカによる福音書4章16-32節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.

 先週の福音書の箇所ルカ3章では、イエス様がヨルダン川にて洗礼者ヨハネから洗礼を受けたこと、そしてその時神からの聖霊が彼に降って特別な力が備えられたことをみました。特別な力とは、神の人間救済計画を実現する力です。神の人間救済計画とは、罪の奴隷になって死の力に支配されている人間を救い出すことです。そのためにイエス様は自分自身を犠牲の生け贄にして、罪の奴隷になっている人間を神のもとに買い戻す。そういう、人間を罪と死の力から解放する計画です。イエス様は、洗礼のすぐ後で、ユダの荒野で40日間悪魔から誘惑の試練を受けますが、全て旧約聖書にある神の御言葉を盾としてはねのけました。これは、聖書の神の御言葉には悪魔を退かせる力があること、そして御言葉が真理であると信じる者には悪魔は手の出しようがないということを示す出来事でした。

この荒野の試練の後に、本日の福音書の箇所が来ます。イエス様は、ユダ地方からガリラヤ地方に移りました。ガリラヤ各地のユダヤ教の教会堂、シナゴーグを回って、神の国が近づいたということ、それに人間の救いがまもなく実現するという福音を人々に伝え始めます。そして神の国が架空のものではない、実在するものであることを示すために数多くの奇跡の業を行いました。それでイエス様の評判はたちまちガリラヤ地方全域に広まりました。イエス様が幼少の時から長年育った故郷の町ナザレに入ったのはちょうどその時でした。

 イエス様のナザレ訪問の目的は、生まれ育った故郷に帰ってのんびり休暇を過ごすことではありませんでした。これまでガリラヤ地方で行ってきたのと同じく宣教をするためでした。しかし、顔見知りが多くいる故郷の町では、他の町々と勝手が違いました。どう勝手が違ったか、なぜそのようなことになったのか、ということが本日の福音書の箇所の主題になります。

イエス様は、これまでそうしてきたように、まず町のシナゴーグに入ります。安息日の礼拝で人々に教えるためです。私たちの用いる新共同訳では何気なく「いつものとおり」とありますが、原語のギリシャ語の意味はもう少し深くて「彼にとって習慣だった」ということです。イエス様が宣教活動を始める前にも安息日にはきちんと欠かさず礼拝に通っていたことが窺われます。

 ところで、当時のシナゴーグの礼拝ですが、少し背景について説明いたします。ヘブライ語で書かれた旧約聖書を朗読した後で、それをアラム語で解き明かしする説教が行われていました。なぜ二つの言語が出てくるかというと、イスラエルの民はもともとヘブライ語で書いたり話したりしていました。それで神の御言葉ももともとはヘブライ語で記されました。ところが紀元前6世紀に起きたバビロン捕囚でイスラエルの民は異国の地バビロンに連れ去られてしまいます。捕囚は50年近く続き、これは二、三世代に渡るので、イスラエルの民はその言語がだんだん異国の言語であるアラム語に同化していきます。日本でも明治時代からアイヌ民族の同化政策が行われると二、三世代後にはアイヌ語使用者がどんどん失われるという悲劇が起きました。

 さて、捕囚の身となったイスラエルの民でしたが、紀元前6世紀の終り頃にバビロン帝国を倒して中近東の覇者となったペルシャ帝国の王の計らいでエルサレム帰還が認められます。帰還した民は廃墟となったエルサレムの町と神殿の復興事業にとりかかります。当時の民の苦難と信仰の戦いの出来事については、エズラ記とネヘミア記に記されています。ネヘミア記8章を繙くと、指導者が民に向かってモーセの律法を朗読する箇所があります。そこに、朗読者が「律法の書を翻訳し、意味を明らかにしながら読み上げた」とあります(8節)。つまり、ヘブライ語の聖書を朗読しアラム語に翻訳して解説したということであります。ヘブライ語は一般の人にはもう遠い言語になってしまったのです。こうしてヘブライ語の旧約聖書を神聖な最高権威の書物として朗読して、続いて民が理解できるアラム語に訳して解説することが始まります。この形の礼拝がイエス様の時代のシナゴーグの礼拝の時にも続いていたのです。

 さて、本日の聖句に戻りまして、シナゴーグの会堂長は、その日の神の御言葉の朗読と解き明しをする人を誰にするかということで、これを今やガリラヤ全土に名声を博している御当地出身のイエス様に依頼しました。会堂は参会者で一杯です。イエス様に神の御言葉が記された巻物が手渡されました。巻物というのは、私たちが手にするような、紙を束ねて綴じる方式で作った本ではありません。動物の皮をつなぎ合わせてそこに文字を記して巻物にした形の書物です。皆様も耳にしたことがある死海文書というのもこの形式の書物です。イエス様は立って、イザヤ書61章の最初の部分をヘブライ語で朗読しました。その箇所の内容は、神に油注がれた者、つまりメシアが神の霊を受けて捕らわれ人に解放を告げ知らせるというものです。メシアはまた、心を打ち砕かれた人に心の癒しを与え、目の見えない人に目が見えるようになるという喜びの知らせを伝える。さらに神の恵みの年、恵みの時が到来したことを告げ知らせる。そういう内容です。

朗読した後、イエス様は巻物を係の者に返して、席につきます。席というのは説教者の座る所ですので、会堂の人たちの視線が一気にイエス様に注がれます。とても緊迫感のある場面です。イエス様が口を開きました。「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(21節)。」この言葉の後でイエス様は解き明しをしていくのですが、それについてはルカ福音書では何も記されていません。22節をみると、参会者みんなが、イエス様の「口からでる数々の恵み深い言葉(複数形)に驚いた」とあるので、イエス様が解き明しを続けたのは間違いありません。解き明しの内容はほぼ間違いなく、神の国が近づいたこと、人間の救いがまもなく実現することを伝えるものだったでしょう。あわせて、各自に悔い改めをして、神のもとに立ち返る生き方をしなさいと促すこともあったでしょう。いずれにしても、イザヤ書の御言葉が実現したとイエス様が冒頭で宣言した時、この油注がれたメシア、神の霊を受けて捕らわれ人に解放や目の見えない人に開眼を告げ知らせるのはこの自分である、と証したのであります。

 

2.

 ところが、ここで状況が一変する出来事が起きます。新共同訳の22節をみると、「皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。『この人はヨセフの子ではないか』」とあります。これでは、この後でイエス様が厳しいことを言って会衆が怒り狂うという、急転回がどうして起きたのか、少しわかりにくいと思います。ギリシャ語原文をもう少し忠実にみていくと次のような状況が浮かび上がります。イエス様の解き明しを聞いていた聴衆は、あの男は何者だと彼の正体を論じ合う状況になった。(μαρτυρεω「証する」という動詞は、与格の目的語を伴うと、肯定的にも否定的にもその者について証する意味があります。)聴衆は、イエス様の口からでる恵み深い言葉に驚いている。しかしその同じ聴衆が、「あれはヨセフの子の大工のイエスではないか」とも言っている。つまり、神の恵みの言葉を価値あるものとわかって、イエス様が誰の子とかそんなこと全く関係ないという雰囲気が生まれた。しかし、同時に「あれはヨセフの子」ということに目が行ってしまい、せっかく価値があると思っていた教えが色あせてしまう。この方は神の人間救済計画を実現する方だということがわかる一歩手前まで来ていたのに、これは誰々の息子だ、故郷のみんなはそれを知っている、ということで遮ってしまったのです。聴衆にとって、神の御言葉を語るイエス様は肉眼に映る像をはるかに超えた存在に映りそうになったのに、やはり肉眼に映る像しか見れなくなってしまったのです。もう少しで肉眼の目ではない心の目、信仰の目が持てるところまでいっていたのに、肉眼の目に戻ってしまった。そして、その目に映る像が真実だと思うようになってしまったのです。

信仰の目とはどういう目かというと、神は人間を罪と死の奴隷状態から救い出してあげようという意思を持った方である、という真理を見ることが出来る目です。また神は人間の救いを実現するために自分のひとり子をこの世に送られたという真理も見ることが出来る目です。こうした真理は、限りある肉眼の目では見えません。肉眼では、目の前にいる男は単なるヨセフの息子の大工にしか見えません。信仰の目を通して見るイエス様は、まさに天と地と人間を造られた神が提示するイエス像であります。それは、人間が限りある知識を駆使して、ああだ、こうだと言って造り上げたイエス像ではなく、神の力に助けられて知ることのできるイエス像です。

イエス様は、聴衆が信仰の目を持てずに肉眼の目に留まってしまっていることに気づきました。こうなってしまったら、ナザレの人たちは奇跡でも行わない限り信じないということもわかりました。イエス様は、ナザレの人たちが自分に向かって「医者よ、自分を治してみろ」と言いたくて仕方がないと見破ります。「医者よ、自分を治してみろ」というのは、そうしたらお前が良い医者であると信じてやろう、ということであります。加えてナザレの人たちはイエス様に向かって、カファルナウムで行ったのと同じ奇跡を故郷の町でもやってみろ、そうしたら信じてやろう、そう言いたくて仕方がないと見破ります。

しかしながら、イエス様は、ナザレの人たちに奇跡を行うことはしませんでした(マルコ6章5節、マタイ13章58節も参照)。そのかわりに、旧約聖書の御言葉を引き合いに出して、それを鏡のように用いて、彼らがどういう人間であるかを示しました。旧約聖書の記述とは、一つは列王記上17章にある預言者エリアが大飢饉の時にシドンのサレプタのやもめを餓死から救ったという出来事です。もう一つは列王記下5章にある預言者エリシャがアラムの王の軍司令官ナアマンのらい病を完治した出来事です。サレプタのやもめもナアマンもイスラエルの民に属さない異教徒の民でした。預言者エリアとエリシャの時代、イスラエルの民の北王国は神の道に背く道を歩んでいました。神は、御自分の預言者を自分の民のもとには送らず、異教徒に属する者に送って彼らを助けたのでした。イエス様は、ナザレに奇跡を行う預言者が送られないのはこれと全く同じであると言うのです。つまり、ナザレの人たちは、かつて不信仰に陥ったイスラエル北王国と同じ立場にある、というのです。

これを聞いた聴衆は激怒します。怒り狂ったと言ってもいいでしょう。イエス様をシナゴーグから追い出し、そのまま山の上まで追いやってそこの崖から突き落とそうとします。しかし、不思議なことにイエス様は群衆をすり抜けて行き、難を逃れます。普通なら群衆の押し出す力で人ひとり崖から突き落とすのはたやすいことだったでしょう。どうやって群衆の力をかわせたのか、詳細は何も記されていません。これも奇跡の業だったと考えられます。イエス様は、十字架と復活の出来事のためにこの世に送られた以上、それが実現するまではどんなに絶体絶命の危険に陥っても、ゴルゴタの日までは神はイエス様が滅びるようなことは一切認めなかったのであります。

 

3.

 ところで、なぜイエス様はナザレの人たちが自分に対して攻撃的になるようなことを言ったのでしょうか?どうして、肉眼の目に留まってしまった人たちを信仰の目が持てるように導かなかったのでしょうか?先ほども触れましたように、ナザレの人たちがイエス様をメシア救い主と信じるようになるためには、もはや奇跡を見せないと効き目がない、とイエス様はわかっていました。もちろん、奇跡を目撃したり体験したりすることを出発点として信仰に入ることも可能です(ヨハネ14章11節)。しかし、その場合、ただ超自然的な力を目で見たから神を畏れるようになった、というだけで終わってしまう危険があります。

本当の信仰とは、たとえ肉眼で見なくとも、神が人間救済の意思と計画を持って、それをひとり子イエス様を用いて実現したことを真理と信じられることです。ちょうどイエス様が不信心のトマスに対して「見ないのに信じる人は幸いである」と言われた通りです(ヨハネ20章29節)。奇跡を目撃したり体験したりして信仰に入るというのは、結局のところ、肉眼に頼る信仰で、必ずしも信仰の目を持ってする信仰にはならないのです。奇跡の目撃や体験がなくなると信仰もなくなってしまいます。イエス様がナザレの人たちに対して肉眼に頼る信仰を許さなかったというのは、信仰の目をもってする信仰に導こうとしているわけですが、残念なことに彼らの反応は、メシア救世主を殺害するという、それ自体、自暴自棄そのものと言える行為に走ったのでした。なぜなら、イエス様を殺害して十字架と復活の出来事を起こさせないようにするというのは、自分たちを救うためにある神の計画を妨害することですから。

ナザレの人たちは、肉眼に頼る信仰の道を絶たれた時、なぜ信仰の目をもってする信仰の道を目指すことを考えなかったのでしょうか?この大きな原因は、彼らが自分たちは罪の奴隷状態に陥っていることを認められなかった、ないしは認めたくなかったからです。イエス様は、彼らがエリヤとエリシャの時代のイスラエル北王国と同じ罪深い状態にあると明確に指摘しました。しかし、ナザレの人たちは、謙虚に立ち止まって自分たちの生き方を神の意思に照らし合わせて自省することをしませんでした。全く正反対に、自分たちは、かつて神の罰として滅亡した王国と同列視されるような罪は何も犯していない、といきり立ってしまったのです。

以上から明らかなように、信仰の目が持てて、その目でイエス様を見ることができるためには、自分が神への不従順と神の意思に反する罪を持っていることを認めることができるかどうかにかかっています。人によっては、具体的にどんな罪を犯したか心当たりがないという人もいるかもしれません。しかし、人間は最初の人間アダムとエヴァが神に対して不従順に陥り罪を犯したために死ぬ存在となってしまいました。それで、人間が死ぬということ自体が人間の罪性、不従順性を示しているのです。

人間を造られた神は、人間がこの世から死んだ後、造り主である自分の許に永遠に戻れるようにするために、ひとり子イエス様をこの世に送ったのです。さらに、人間がこの世の人生の段階で永遠の命に至る道を歩めるようにするために、またその道を歩む際には順境にあろうが逆境にあろうが絶えず守られて歩めるようにするために、イエス様を送ったのです。それで、人間の罪と不従順がもたらす罰を全てイエス様に身代わりに受けさせました。人間は、イエス様のこの身代わりの罰受けが実は自分のためになされたとわかって、イエス様こそが救い主と信じて洗礼を受ければ、その瞬間に、イエス様の身代わりの罰受けは本当にその人に起きたことになるのです。この時、その人は信仰の目を持っています。神の意思と計画が真理であるとわかるために、奇跡や超自然的な力を見る必要は全くないのです。

 しかしながら、イエス様を救い主と信じるようになって信仰の目を持てるようになったとは言っても、私たちは肉を纏って生きる以上、肉眼の目に頼ってしまう危険がいつもあります。どうして私たちは、そのような中途半端な状態に置かれなければならないのでしょうか?どうして、一度与えられた信仰の目が全てにならないのでしょうか?ルターは、信仰とは育たなければならないものと教えています。そうすると、今の中途半端な状態というのは、まさに信仰を成長させなければならないものにしていることがわかります。このことについて、ルターの教えをひとつ引用して本説教の締めとしたく思います。この教えは、第二コリント5章7節の聖句「目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです」の解き明しです。

「福音の光に照らし出された人は、聖書の御言葉を噛みしめながらキリストとしっかり結ばれていく。たとえ自分自身、まだ罪が残っている、まだ罪の中にいると思っていても、その人は日に日に罪と地獄の外側へと移されていくのである。

しかし、そこには戦いがあることを忘れてはならない。感じること見えることが聖霊や信仰に戦いを挑んでくる。同じように聖霊と信仰も感じること見えることに戦いを挑む。信仰というものは性質上、理性が把握しようとすることに対しては介入しない。理性がしたいようにほおっておく。信仰はただ、人の目を閉じさせて、生きる時も死ぬ時も神の御言葉だけに依り頼むようにさせるのである。翻って、感じること見えることは、理性や五感で把握できること以上に進むことができない。このように、感じること見えることは信仰に対峙するものであり、信仰は感じること見えることに対峙するのである。この戦いで、信仰が成長すればするほど、感じること見えることは廃れていくのであり、逆もまたしかりである。

罪や驕り高ぶり、憎む心、独り占めしようとする心、その他全ての忌まわしいものが、キリスト信仰者である我々の内にまだぶら下がっているのは、それらが我々を逆に鍛えさせてくれるからなのである。御言葉に依り頼みながらそれらに戦いを挑んで鍛えられていくと、我々の信仰は一日一日と前に進み、最後には頭のてっぺんから足のつま先まで完全なキリスト信仰者になれて、キリストに完全に覆われて、天の御国の真の祝宴の席につけるのである。我々は、海の荒波を思い浮かべるが良い。波は次から次へと岩壁に押し寄せ、それはあたかも力ずくで岩壁を砕こうとしているかのようである。しかし、砕かれるのは波自身であり、砕かれては消え去ることを繰り返すだけである。罪の攻撃もこれと同じである。罪は、我々を打ち砕いて絶望に追い込もうと、それこそ覆いかぶさるように襲いかかってくる。しかし、力が足りず退散しなければならないのは罪なのである。なぜなら、罪は最後の日に音もなく消え去るよう既に定められているからなのだ。」

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン


主日礼拝説教 顕現節第三主日
2016年1月17日の聖書日課 ルカ4章16-32節、エレミア1章4-8節、1コリント12章1-11節

1月のフィンランド家庭料理クラブの報告

2016年最初の家庭料理クラブは「サーモンスープ」とサーモンスープ、フィンランドサンピュラを作りました。

フィンランドでは-20℃や-30℃の世界と聞きましたが、
東京も木枯らしが吹いた寒い土曜日の午後、
柔らかな日差しが入る牧師館では、
2016年最初の料理クラブでした。

最初にお祈りをして料理クラブはスタートです。

今回は、スープと一緒に焼き立てパンも用意するため、
フィンランド式のパン作りにも挑戦していただきました。

グループに分かれて、材料の計量に、生地を捏ね、発酵へ、

次は、サーモンの扱い方や、大量のジャガイモの皮むき、野菜類のカットなど作業がスムーズサーモンスープ、フィンランドに進み、大型の鍋からは、スープの湯気がたち、パンの焼き上がるのが待たれました。

スープが盛られ、焼きたての熱々パンは、ステンレスのクーラーに載せたままテーブルに、
食前の祈りをあげて、試食会は始まりました。
サーモンスープの味わいと、アツアツの焼き立てパンの相性は抜群で、
大鍋につくったサーモンスープは、きれいに完食となりました。

コーヒーを飲みながら、パイヴィ先生から、フィンランドの魚事情や、聖書の中の魚にまつわるお話を聞かせて頂きました。

参加の皆さま、お疲れさまでした。

 

 

フインランド家庭料理クラブに出席して。

 今日のフインランド家庭料理クラブは大好物の”サーモンスープ”を作ると言うことで家内ともども出かけました、熱々のスープを頂きながら満ち足りたひと時でした。食後のコーヒータイムにパイヴィ先生からフインランド人と魚についての面白い話を聞きましたのでご紹介します。

”料理教室の話2016年1月16日

フィンランドは湖や川がたくさんある国です。湖や川の魚の種類は多く、魚釣りが好きな人も多いです。昔、魚釣りは趣味ではなく、食料を得るための仕事でした。それで、魚釣りはどの家庭でも行われ、魚は毎日の食事のおかずでした。

時代は変わって、魚釣りは毎日の仕事ではなく、魚は店で買われるようになりました。その頃から海でとれるいわしが食べられるようになりました。いわしは沢山とれたので安い魚でした。冷蔵庫がまだない時代には、秋になると家庭でいわしを沢山買って、塩づけにして保存して、冬中ずっと食べられていました。子供の頃、私の家にもこのようにいわしを塩づけにして保存して、長い間いわしを食べました。残念ですが、現在いわしを食べるフィンランド人は少なくなり、一年に一人当たり300gだけ食べると言われています。最近トゥルクやヘルシンキでは秋になるといわしの市場(いちば)が開かれるようになって、そこではいわしだけでなく他の魚で作った料理や保存食も売っています。このいわし市(いち)は、冬に向かうフィンランドの秋の大きなイベントになって、沢山の人が訪れます。

現在フィンランド人は魚より肉をよく食べるようになったために、国の保健機関は、一週間の食事のうち魚を2食を食べることは健康のために良いと、国民に呼びかけています。最近、若者は魚の料理は好きではないようですが、年配の人たちはまだ魚をよく食べます。

今フィンランドでどんな魚が食べられるでしょうか?よく食べられるのは、湖や川でとられる白身の魚です。海の魚ではいわしとニシンとサーモンで、一番よく食べられるのはサーモンです。サーモンはフィンランドで養殖したものか、ノルウェーの海で捕ったものか、どちらかです。昔は高価なサーモンの料理は、クリスマスのようなお祝いの時にしか食べられませんでしたが、今は普段の日にもよく食べられるようになりました。サーモンを使った料理のなかで、今日のサーモンスープは伝統的なものですが、オーブンやフライパンで焼いたり、スモークサーモンにしたり、生のものを塩漬けにして食べます。

私は、日本のお店で売っている魚を見て、種類の多さにびっくりします。フィンランドの普通のお店で生で売っている魚の種類は少なく、いわしとサーモンとあと何か白身の魚が1種類あるだけです。日本の方がフィンランドに旅行すると、きっとびっくりするでしょう。

さて、聖書の時代にも魚はよく食べられていて、漁師の職業は普通でした。これから聖書の中にある漁師についてお話ししたと思います。ある日イエス様がゲネサレト湖という湖にやってくると、2人の漁師が舟からおりて、網を洗っているのを見かけました。そのとき、大勢の群衆がイエス様の教えを聞こうとして、彼の周りに集まって来ました。イエス様は漁師のシモン・ペテロの舟に乗って、少し岸から離れた場所まで行って、そこから岸辺にいる群衆に向かって神様のことについて教えました。

話し終えてから、イエス様はシモン・ペテロに「舟を少し冲に漕いで、そこで網を下ろしてみなさい」と言われました。シモン・ペテロは、「先生、私は夜中苦労しましたが、何も獲れませんでした。しかしお言葉ですから、網を下ろしてみましょう」と答えました。シモン・ペテロは漁師なので魚のことはよく知っていました。もし夜魚が獲れなかったら、昼はもっと獲れない、とシモン・ペテロは思ったでしょう。それでもシモン・ペテロは、神様についてのイエス様の教えをいつも聞いて、イエス様のことを尊敬していたので、言われた通りにしました。するとどうでしょう。信じられないことが起こりました。網が破れそうになるくらいに大量の魚がかかって、その重さで二そうの舟は沈みそうになりました。シモン・ペテロはこれを見て、どう思ったでしょうか?彼はイエス様の足元にひれ伏して、こう言ったのです。「主よ、私から離れてください。私は罪深いものです。」シモン・ペテロはイエス様にお礼を言いませんでした。どうしてでしょうか?この時シモン・ペテロは、今起こったことは神様の力で起きたと信じたのです。そして、イエス様は神聖な神のみ子でいらっしゃること、その方の前では自分は罪深いものなのだ、ということを理解したのです。それでシモン・ペテロは、「私は罪深いものなので、どうか私から離れてください」と言ったのです。しかし、イエス様はシモン・ペテロから離れないで、次のように言われました。「恐れることはない。これからは、あなたは人間をとる漁師になる。」そこでシモン・ペテロは舟を陸に引き上げて、すべて捨ててイエス様に従いました。こうしてペテロはイエス様の弟子の一人になったのです。

シモン・ペテロはイエス様に出会って、すべてを捨ててイエス様に従いました。私たちもイエス様と出会うことができます。それは、聖書のみ言葉を読んだり聞いたりするとこにできるのです。聖書のみ言葉を読んだり聞いたりすると、私たちが神様のみ前では罪深いものであることがわかります。しかし、まさに罪深い人間を救うためにイエス様は十字架にかけられて、そこで死なれて、三日目に死から復活させられて、天に昇られたのです。神様は、イエス様の十字架の出来事のゆえに、罪深い人間を赦して下さいます。ここに神様の人間に対する愛が溢れています。イエス様は私たち一人一人を愛して下さり、ご自分に従うように、と呼んでくださいます。イエス様は、シモン・ペテロから離れなかったように、私たちからも離れられません。マタイによる福音書の終わりにイエス様が言われた次のような約束の言葉があります。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」このような約束をされたイエス様は、今年も毎日、一人一人と共にいてくださいます。このことを忘れず、感謝して歩んでいきましょう。”

 

説教「神の子イエスの洗礼」木村長政 名誉牧師、ルカによる福音書3章15~22節

 ルカは医者であり、歴史家でもありましたから、神の子として、福音宣教されたイエス様について、かなりこまかく歴史的事実をおりこんで記しています。

 ルカ3章1節から見ますと、「皇帝ティベリウスの治世の第15年、ピラトが、ユダヤの総督ヘロデがガリラヤの領主であった。」

あと、こまかく歴史上の人物を記し、大祭司の名まで上げています。

神の言葉が、荒れ野でザカリヤの子ヨハネに降った。

そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために、悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

これが、バプテスマのヨハネの登場です。

預言者勲矢の予言の言葉も、しっかり宣言しています。

そこで群衆は、洗礼を授けてもらおうとして、ぞくぞくとヨハネのもとへやって来ました。「蝮の子らよ。差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。」と叫んだのです。あと詳細にわたって、ヨハネが悔い改めをせまっています。8節以下をみますとわかります。

 さて、本日の聖書が15節からであります。

民衆は、メシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら、彼がメシアではないかと皆、心の中で考えていた。

そこでヨハネは言った。「私はメシアではない。」とはっきり言いました。「わたしより、はるかに優れた方が来られる。」イエス様をメシアとして示していきます。「わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。」

イエス様の前に、バプテスマのヨハネは、奴隷にも値しない。

あとに来られる方は聖霊と火で、あなたたちに洗礼をお授けになる。

 主イエス様が、いかに高い存在か、比べようもないお方である。人間という存在をはるかに超えた神の人、神であられる、ということ。

しかし、誰も知るよしもない。ヨハネにはわかっていたことでしょう。

イエス様は、罪の赦しという大目的がある、けれども、徹底した審きもなさることを、きびしく、くわしく述べています。

 

 ところで、ここに1つの出来事が起こる。ルカは21~22節に簡潔に記していますが、マタイの方が少し詳しいので、見てみましょう。

マタイ3章13節~15節「イエスがガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。」

ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。

「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私の所へ来られたのですか。」

しかしイエスはお答えになった。「今は止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」

そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

民衆に混じって、イエス様が洗礼を受けに来られたのですから、バプテスマのヨハネは、もうびっくりこんです。

イエス様の」履物のひもを解く値打ちもない、ヨハネのところへ、洗礼を授けてほしいと言われる。ヨハネは、どんなにか、戸惑った事でしょう。私こそ、あなたから、洗礼を受けるべきです。と、驚きと恐れをもって、言っています。

なぜイエス様は、バプテスマのヨハネから洗礼を受けようとされたのでしょうか。

イエス様は罪びとの民衆と仲間になって下さっているのです。

 

 イエス様とヨハネのちがいは何か、といいますと、主イエス様は、福音の御業を始めるのに、まず洗礼をお受けになることろから始まっている、ということです。

主御自身が、まず、聖霊の御力に満たされるのです。

そうして、そこで何が起こったか。

天が開け、聖霊が、鳩のように見える姿で、イエスの上に降って来た。

天が開けたのです。何ということでしょう。だれも、この光景を見たこともない。すごいことであります。

天が開け、地上に神の声があったのです。

他の訳では、洗礼を受けられて、水の中から上がると、すぐ、天が裂けて、霊が鳩のようにご自分に降ってくるのを、御覧になった。とあります。

まさに、天が裂けて、霊が降って来たのです。

ただ、ただ驚きの光景であります。聖霊が鳩のような姿となって現れた、ということも不思議な現象です。

 

 預言者イザヤは、63章19節で次のように言っています。

「どうか、天を裂いて、降って下さい。御前に、山々が揺れ動くように。」預言者の叫びです。

イスラエルの歴史は、まことに暗い、黒雲に閉ざされていました。

天が見えない。神が見えない。神の御業も見えないのです。

だから、神よ、どうか今、その天を開いてここに来て下さい。

山々が揺れ動く程の御業を行って下さい。」という祈りが、預言者の叫びです。

そして、今や、その時が来て、天が裂かれた。神御自身の霊が、いきいきと働き始めるのです。

そうして、天からの声を聞かれました。「あなたは、私の愛する子、わたしの心に適う者。」

 

ここには、旧約聖書の言葉の三つが語られています。

第1は、創世記22章、2、12、16節です。

神はアブラハムに、イサクのことを、「あなたの子」「あなたの1人子」と何度も語られました。

イエス様が聞いた「あなたは、わたしの愛する子」という言葉に、この愛する子を献げた、アブラハムに対する言葉が重なって、聞こえてくるのです。アブラハムは、年老いて授かった、愛するイサクを、モリヤの山につれていきますと、その愛する子を、犠牲の献げ物として、燃えるたきぎの上に献げよ、との神の言葉に従って、わが子をナイフで手がけようとします。神様は、このアブラハムの心を、どのように受けとめていかれたか。愛するわが子を犠牲として、イエス様を十字架の死に献げる決意を神様は今、されたのです。

 

 第2には、詩篇第2編にある7~8節の言葉です。

主に定められたところに従って、わたしは述べよう。

「主は、わたしに告げられた。お前はわたしの子、今日、お前の嗣業とし地の果てまで、お前の領土とする。」

これは王に即位された時の詩篇と言われます。

強く、激しい歌です。

メシア待望の心が生まれてきた時に、この詩篇は救い主を歌う歌だというように理解された。

そうするとイエス様は、洗礼を受けられ、天からの声で、父なる神から王として、その位に定められたのです。

 

 第3には、イザヤ書42章の1節の予言です。

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。私が選び、喜び、迎える者を。」

神の救いを実現するために、僕としての道を、徹底して歩み、罪びとの1人に数えられて、死に至るしもべを歌いあげる言葉のすべてが、この背景にあるのです。

王として立てられた主は、まさしく、そこで僕としての職務を受けられたのです。

 

 これらの三つの言葉が、重なり合って、今、洗礼を受けられたイエス様の耳に聞こえました。

まとめて言いかえますと、神に身を捧げる者、神から王として君臨することを許された者、そして、罪びとを滅ぼすことなく、罪から解き放って生かすため、自らも僕となって人々に仕える、という使命を与えられた者、こうした三様の働きを命ぜられた、神の子へのメッセージです。

 

 マルコは、イエス様の地上の最後の時の十字架の上で叫ばれたことを記しています。

マルコ15章33節以下です。「わが神、わが神、なぜ、私をお見すてになったのですか。」

まさに暗黒の中で、イエス様は死なれた。そして、37節には、こうあるのです。

「イエスは、大声を出して、息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が、上から下まで、真っ二つに裂けた。」

イエス様が、地上の生涯で神の子としての働きを始められた、あのヨルダン川での洗礼を受けて川から上られた時、天が裂けた。

そして、十字架の死をとげられた瞬間、神殿の幕は裂けたのです。

 

 神が地上に来て下さっただけではない。もう神殿も、いらなくなった。

どこででも、いつでも、誰もが神様にお会いする道が開けたのです。

そうして、あの十字架の上で死なれたイエス様に向かって、百人隊長が、こう叫びます。

「ほんとうに、この人は、神の子だった」と。

 この言葉は、まさに、洗礼をお受けになったイエス様が、天からのお声を聞いた。

その言葉のとおり、神の子だった。と、異邦人の隊長が告白しているのです。

 

 神の子、イエス様は洗礼を受けられる中で、聖霊を受けて天からの声を聞き。神の力を受け、神の子は王としての使命をはたしていかれたのです。

 今も、私たちのうちに、神の子イエス様がいつも働いて下さっているのです。

 アーメン、ハレルヤ!


主日礼拝説教
2016年1月10日の聖書日課 ルカ3章15~22節

説教「歴史的事実と信仰ということについて」吉村博明 宣教師、マタイによる福音書2章1-12節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

 1. はじめに

 本日の福音書の箇所は、何かおとぎ話めいて本当にこんなことが現実にあったのか疑わせるような話です。はるばる外国から学者のグループがやってきて誕生したばかりの異国の王子様をおがみに来るとか、王子様の星をみたことが学者たちの異国訪問の理由であるとか、その星が学者たちを先導して王子様のいる所まで道案内するとか。こんなことは現実に起こるわけがない、これは大昔のおとぎ話だと決めつける人もでてくると思います。

 本日の箇所に限らず、聖書には、奇跡や超自然的な現象が数多く登場します。イエス様についてみても、おとめからの誕生、難病や不治の病を次々に完治したこと、自然の猛威を静めたこと、その他もろもろの奇跡の業、そして死からの復活等々、枚挙にいとまがありません。聖書を読む人たちのなかには、そのような記述は古代人の創作だと決めてかかる人もいます。そういう人にとって、聖書は信仰の書、永遠不滅な神の言葉などでなく、古代オリエント世界の人々の考え方や文化を知るための一つの文化遺産にしかすぎません。他方では、奇跡や超自然的な現象を真に受けることはしないが、イエス・キリストは「信奉」してもいいという人たちもいます。イエスは当時のユダヤ教社会でとても革新的なことを教え、その教えの多くは現代にも通じるものがある、そしてその通じるものに注目し(逆に言えば通じないものは排除して)現代社会の諸問題の解決に役立てていこうと。つまり、イエス・キリストを何か一つの主義とか思想を打ち立てた思想家ないしイデオローグと見なすということです。また、彼がもとでキリスト教が生まれたのだから、仏陀やモハメッドのように一つの宗教の教祖とみなす人もいます。教祖であれば、仏陀やモハメッドが人間だったのと同じように、イエスも彼ら同様一人の卓越した人間だったとみられていきます。こうなると、イエス様を三位一体の神の一をなす神の子であると信じる信仰となじまなくなります。それで、イエス様が「信仰」の対象というより、「信奉」の対象になるのであります。

 さて、本説教では第一の教えとして、本日の福音書の箇所はおとぎ話と決めつけるには歴史的信ぴょう性が高い記述であるということを述べていきたいと思います。歴史を100パーセント復元してみせることは不可能です。しかし、本日の箇所は100パーセントとはいかなくとも、少なくとも80パーセント位は歴史的事実と言っていいのではないか、それくらい信ぴょう性が高いということを見ていきたく思います。それでは、聖書に書いてある出来事が仮に80パーセントくらいは真実とみなせるなら、それなら信じてもいい、ということになるのか?それとも、いや、やはり100パーセント確実でないと信じられない、ということになるのか?そういう疑問に対して、聖書に書いてある出来事が100パーセント真実であると確かめることは信仰の出発点にはならない、ということを本説教第二の教えとして述べていこうと思います。信仰の出発点は100パーセントの信ぴょう性を確立することとは別のところにあるのです。それではその出発点は何か、そうしたこと考えていこうと思います。

 

2. マタイ2章1-12節の歴史的信ぴょう性について

 最初に、本日の福音書の箇所に出てくる不思議な星の歴史的信ぴょう性についてみてみましょう。これからお話しすることは、皆さんも既に聞かれたことがあるかもしれません。イエス様が誕生した頃の天体の動きについては、似たような説がいろいろあるようです。以下に申し上げることは、私がフィンランドで読んだり聞いたりしたことに基づくバージョンであるということをお含みおき下さい。

近代の天文学者として有名なケプラーは1600年代に太陽系の惑星の動きをことごとく解明しますが、彼は紀元前7年に地球から見て木星と土星が魚座のなかで異常接近したことを突き止めました。他方で、現在のイラクを流れるチグリス・ユーフラテス川沿いのシッパリという古代の天文学の中心地から当時の天体図やカレンダーが発掘され、その中に紀元前7年の星の動きを予想したカレンダーもありました。それによると、その年は木星と土星が重なるような異常接近する日が何回もあると記されていました。二つの惑星が異常接近するということは、普通よりも輝きを増す星が夜空に一つ増えて見えるということです。さて、イエス様の正確な誕生年について諸説がありますが、本日の福音書の箇所に続くマタイ2章13-23節によれば、イエス親子はヘロデ王が死んだ後に避難先のエジプトからイスラエルの地に戻ったとあります。ヘロデ王が死んだ年は歴史学では紀元前4年と確定されていて、イエス親子が一定期間エジプトにいたことを考慮に入れると、木星・土星の異常接近のあった紀元前7年はイエス誕生年としてひとつ有力候補になります。そこで決め手となるのは、ローマ皇帝アウグストゥスによる租税のための住民登録がいつ行われたかということです。残念ながら、これは記録がない。ただし、シリア州総督のキリニウスが西暦6年に住民登録を実施した記録が残っており、ローマ帝国は大体14年おきに住民登録を行っていたので、西暦6年から逆算すると紀元前7年位がマリアとヨセフがベツレヘムに旅した住民登録の年として浮上してきます。このように、天体の自然現象と歴史上の出来事の双方から本日の福音書の記述の信ぴょう性が高まってきます。

次に、東方から来た正体不明の学者グループについて見てみましょう。彼らがどこの国から来たかは記されていませんが、前に述べたように、現在のイラクのチグリス・ユーフラテス川の地域は古代に天文学が非常に発達したところで、星の動きが緻密に観測されて、それが定期的にどんな動きをするかもかなり解明されておりました。ところで、古代の天文学は現代のそれと違って、占星術も一緒でした。つまり、星の動きは国や社会の運命をあらわしていると信じられ、それを正確に知ることは重要でした。従って、もし星が通常と異なる動きを示したら、それは国や社会の大変動の前触れであると考えられたのです。それでは、木星と土星が魚座のなかで重なるような接近をしたら、どんな大変動の前触れと考えられたでしょうか?木星は世界に君臨する王を意味すると考えられていました。土星についてですが、東方の学者たちがユダヤ民族のことを知っていれば、土曜日はユダヤ民族が安息日として神を称えた日と連想できるので、この星はユダヤ民族に関係すると理解されたでしょう。魚座は世界の終末に関係すると考えられていました。以上から、木星と土星の魚座のなかでの異常接近を目にして、ユダヤ民族から世界に君臨する王が世界の終末に結びつくように誕生した、という解釈が生まれてもおかしくないわけです。

 それでは、東方の学者たちはユダヤ民族のことをどれだけ知っていたかということについてみてみましょう。イエス様の時代の約600年前のバビロン捕囚の時、相当数のユダヤ人がチグリス・ユーフラテス川の地域に連れ去られていきました。彼らは異教の地で異教の神崇拝の圧力にさらされながらも、天地創造の神への信仰を失わず、イスラエルの伝統を守り続けました。この辺の事情は旧約聖書のダニエル書からもうかがえます。バビロン捕囚が終わってイスラエル帰還が認められても、全てのユダヤ人が帰還したわけではなく、東方の地に残ったユダヤ人も多くいたことは、旧約聖書のエステル記からも明らかです。そういうわけで、東方の地ではユダヤ人やユダヤ人の信仰についてはかなり知られていたと言うことができます。「あそこの家は安息日を守っているが、かつてのダビデ王を超える王メシアがでて自分の民族を栄光のうちに立て直すと信じ待望しているぞ」という具合に。そのような時、世界の運命を星の動きで予見できると信じた人たちが二つの惑星の異常接近を目撃した時の驚きはいかようであったでしょう。

学者のグループがベツレヘムでなく、エルサレムに行ったということも興味深い点です。ユダヤ人の信仰をある程度知ってはいても、旧約聖書自体を研究することはしなかったでしょうから、旧約聖書ミカ書にあるベツレヘムのメシア預言など知らなかったでしょう。星の動きをみてユダヤ民族に王が誕生したと考えたから、単純にユダヤ民族の首都エルサレムに行ったのです。それから、ヘロデ王と王の取り巻き連中の反応ぶり。彼は血筋的にはユダヤ民族の出身ではなく、策略の限りを尽くしてユダヤ民族の王についた人なので、「ユダヤ民族の生まれたばかりの王はどこですか」と聞かれて驚天動地に陥ったことは容易に想像できます。メシア誕生が天体の動きをもって異民族の知識人にまで告知された、と聞かされてはなおさらです。日本語訳では「不安を抱いた」とありますが、ギリシャ語原文の正確な意味は「驚愕した」です。それで、権力の座を脅かす者は赤子と言えども許してはおけぬ、ということになり、マタイ2章の後半にあるベツレヘムでの幼児大量虐殺の暴挙に至ったのであります。

以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象から始まって当時の歴史的背景全てに見事に裏付けされることが明らかになったと思います。しかしながら、問題点もあります。2つのことが大きな問題としてあります。まず第一の問題点は、昨年12月20日の説教でイエス様親子がどのくらいエジプトに避難していたかということを考えました。もしマリアの出産後3か月間の清めの期間だったとすれば、イエス様の誕生は紀元前4、5年になってしまいます。紀元前7年とするとイエス様がエルサレムの神殿に連れて行かれるのが2,3歳くらいになってしまい、少し大きすぎてしまいます。その時にも申し上げたのですが、イエス様誕生の後の時間の流れはジグソーパズルがもう少しで全部埋まりそうで埋まらないもどかしさがあります。

もう一つの問題点は、東方の学者グループがエルサレムを出発してベツレヘムに向かったとき、星が彼らを先導してイエス様がいる家まで道案内したということです。これなど本日の箇所で一番SFじみていて、まともに信じられないところです。人によっては、ハレー彗星のような彗星の出現があったと考える人もいます。それは全く否定できないことです。ただし、本説教では、確認できることだけをもとにして記述の信ぴょう性をみていこうという方針なので、彗星説は可能性はあるけれどもちょっと脇においておきましょう。先に述べたように、木星と土星の重なるような接近は紀元前7年は一回限りでなく、しつこく何回も繰り返されました。エルサレムからベツレヘムまで10キロそこそこの行程で学者たちが目にしたのは同じ現象だったという可能性があります。星が道案内したということも、例えば私たちが暗い山道で迷って遠くに明かりを見つけた時、ひたすらそれを目指して進みますが、その時の気持ちは、私たちの方が明かりに導かれたというものでしょう。劇的な出来事をいいあらわす時、立場をいれかえるような表現も起きてくるのです。もちろん、こう言ったからといって、彗星とか流星とかまた何か別の異例な現象があったことを否定するものではありません。ここでは、ただ確認できることだけに基づいて福音書の記述をみてみようということであります。

確認できることというのは、とても限られています。現在の時点で入手可能な資料や天文学や科学の成果をもって、確認できないことに出会った時は、すぐ「ありえない、存在しない」と決めつけてしまうのではなく、それは、現在の知識の水準を超えたことで肯定も否定もできないものだと、一時保留の態度がよいのではないかと思います。とにかく、神は太陽や月や果ては星々さえも創造された(創世記1章16節)方なのですから、東方の星やベツレヘムの星が、現在確認可能な木星と土星の異常接近以外の現象である可能性もあるのです。

 

3. 信仰の出発点について

 以上みてきたように、本日の福音書の箇所の記述は、自然現象からみても歴史的背景からみても、確認できる事柄をもってしても、空想の産物として片づけられない真実性がある、主観が混じっているかもしれないが実際に起きたことについての忠実な記録であると言っても大丈夫なことが明らかになってきました。それでは、これであなたは聖書に書いてあることが本当であるとわかって、イエス様を救い主と信じますかと聞くと、なかなかそうはならないのではないかと思います。仮に本日の箇所はOKだとしても、他の奇跡や超自然的な出来事の真実性はどう確認できるのか、と問い始めるでしょう。そういう人たちは、タイムマシンにでも乗って聖書に書かれてある出来事が全て記述のとおりに起きたことを見て確認できない限りは信じないと言っているようなものです。ところが、私たちはイエス様を目で見たことがなく、彼の行った奇跡も十字架の死も復活も見たことはないのに、彼を神の子、救い主と信じ、彼について聖書に書かれてあることは、その通りであると受け入れています。タイムマシンはいらないのです。どうしてそんなことが可能なのでしょうか?

 イエス様を救い主と信じる信仰が歴史上どのように生まれたかをみてみます。はじめにイエス様と行動を共にした弟子たちがいる。彼らはイエス様の教えを間近に聞き、時には質疑応答をしたりして、しっかり記憶にとどめる。またイエスに起きた全ての出来事の至近の目撃者、生き証人となり、特に彼の十字架の死と死からの復活を目撃してイエス様こそが旧約聖書の預言の成就、神の子、救い主であると信じるに至る。そして今度は彼らの命を惜しまないような証言を聞いて、イエス様を見たことのない人たちが彼を神の子、救い主と信じるようになる。そのうちに信頼できる記録や証言や教えが集められて聖書としてまとめられ、今度はそれを土台にイエス様を見たことのない人たちが信じるようになる。それが世代ごと時代ごとに繰り返されて、2000年近くを経た今日に至っているのであります。私たちはこの途切れることのないチェーンのひとつの結び目なのであります。

では、どうして先代が残した記録、証言、教えの集大成である聖書に触れることで、会ったことも見たこともない者を神の子、救い主として信じるようになったのか?それは、遥か2000年前にかの国で起きたあの出来事は、実は現代を生きる私にかかわっていたのだ、この私のために神がイエス様を用いて成し遂げた業なのだ、と気づいて、そう信じたからです。それでは、どのようにしてそう気づき、信じることができたのでしょうか?マタイ16章13-20節の箇所で、ペトロがイエス様をメシア、神の子と告白した出来事がありますが、そこにヒントがあります。それを見てみましょう。

ペトロの告白に対してイエス様は、お前に私の正体を現したのは「血と肉(σαρς και αιμα)の塊にすぎない人間ではなく、わたしの天の父だ」(ギリシャ語原文に忠実な訳です)と述べられます。「血と肉が明らかにしたのでない」という意味は、ペトロ自身を含め、人間が単なる血と肉の生身にとどまる限り、誰もイエス様の正体はわからないということであります。神が人間に力を働かせないとわからないのであります。神の力が働かなければ、どんなに知識や学識を蓄えても、優秀な頭脳をもっていても、それは単なる血と肉の能力にしかすぎず、イエス様の正体はわからないのであります。逆に言えば、知識や学識がなくても、神の力が働けば、イエス様の正体はわかるのであります。こうしたことがわかるために次のような事例を考えてみましょう。

 高校か大学に世界の諸宗教という授業を設けて、今日はキリスト教をみてみましょうと言って、パワーポイントでも使ってボードに「キリスト教の信仰」という題を映し出し、それに続いて次のような記述を学生たちに見せたとします。

「最初の人間アダムとエヴァが陥った神への不従順と罪がもとで、人間は死する存在になってしまった。人間は代々死んできたように、不従順と罪を代々受け継ぎ、それらがもたらす裁きと呪いの下に置かれてしまった。神は、人間が永遠の命を持てて再び創造主のもとに戻ることが出来るようにと、ひとり子イエスをこの世に送り、本来人間が受けるべき不従順と罪の裁きと呪いを全てイエスに肩代わりさせて十字架の上で死なせた。これによって人間を不従順と罪の奴隷状態から解放した。その解放の代価は、まさに神の子の血であった。しかし、それだけに終わらず、神はイエスを死から復活させることで、死を超えた永遠の命、復活の命への扉を人間に開いた。このようにして、天と地と人間を創造した神は、ひとり子イエスを用いて人間救済を全部自分で実現した。」

これを学生に写させて、来週テストしますと言えば、いい点取りたい者はみな、キリスト信仰者でなくても覚えてきて答案を書きます。キリスト教徒はこういうふうに考えているんだな、と頭で理解します。つまり、この場合、「キリスト教の信仰」というものは、知識にしかすぎません。

ところが、ああ、あの2000年前の今のパレスチナの地で起きた出来事は、実は今を生きている自分のためになされたのだ、とわかった瞬間、全てが一変します。その時、イエス様を自分の救い主と信じ、洗礼を受けて、神が実現した救いを所有する者となります。この救いの所有者は、既にこの世において神の国の立派な一員として迎えられ、永遠の命の命に至る道を歩み始めます。そして、この世の終わりの日にその新しい命を持って生き始めることになります。もちろん、この世にいてまだ肉をまとっている以上、私たちの内には不従順と罪が宿っている。しかし、イエス様を救い主と信じる信仰に生きる以上、神の側では、イエス様の犠牲に免じてそれらを不問にして下さる。神が実現した救いをしっかり受け取った者として私たちを見て下さる。私たちの側では、このような深い愛と恵みをもって自分を扱って下さる神を賛美し絶えず感謝しようという心が生まれ、その神のみ心に適うように生きるのが当然になっていく。つまり、神を全身全霊で愛し、隣人を自分を愛する如く愛することが当然という心が育っていく。

このように、2000年前の出来事が今を生きる自分のためになされたと分かった時、人は新しく創造されます。肉に宿る古い人間を日々死に引き渡し、洗礼によって植えつけられた新しい人間を日々育てていく、そういうものに新しく創造されるのであります。2000年前の出来事について、またキリスト教そのものについて、どれだけたくさんの事柄を知っていても、この「自分のためになされた」ということがなければ、それは単なる知識にとどまります。知識だけでは、イエス様を神の子、救い主と信じる信仰は生まれません。

それでは、「自分のためになされた」ということはどのようにして起きるのでしょうか?それは、先ほどのペトロとイエス様のやりとりからも明らかなように、神の力が働かないとそうならないのであります。神が聖霊を送って人間に作用しないとそうならないのであります。聖霊は、まず私たちがどれくらい神聖な神のみ心から離れてしまった罪深いものかを思い知らせて下さる。その瞬間にすかさず、神はひとり子イエス様を送られたくらいにこの自分を愛して下さることを思い知らせてくれるのです。

 

4. おわりに

神がイエス様を用いて実現した救いは全ての人間に提供されています。それでは、神がどうぞと言って提供してくれている救いを、人間の全てが受け取らないのはどうしてなのでしょうか?人間にその受取りを妨げるものがあれば、私たち信仰者は、その妨げるものを取り除くよう導き助ける役目があります。まだ救いを受け取っていない人たちと接する時、どのようにしたらそれを取り除くようにしてあげられるかを考えなければなりません。もちろん私たちの働きがなくても、聖霊が直接働かれる場合もあるでしょう。しかし、聖霊は信仰者が働くことも望んでいます。それで、隣人との接し方について、神に知恵と力を祈り求めなければなりません。天の父なるみ神は、聖書の御言葉を通して必要な知恵と力を与えて下さいます。そういうわけで、兄弟姉妹の皆さん、何事につけ聖書を繙くことと祈り求めることを怠らないようにしましょう。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 


主日礼拝説教 顕現主日
2016年1月3日の聖書日課 マタイ2章1-12節、イザヤ60章1-6節、エフェソ3章1-12節

2016年元旦礼拝の説教「永遠を思う心」吉村博明 宣教師、コヘレト3章1-11節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1.

西暦2016年の幕が開けました。教会の暦の新年は、既に昨年の11月29日に待降節に入った時に始まっております。世俗の暦では本日が新しい年の第一日目です。この日は、教会の暦ではイエス様の誕生から8日目ということで、ルカ福音書2章21節に記された出来事の日です。イエス様がユダヤ教の戒律に従って割礼を受けて、「イエス」の名前が公けにされた日です。キリスト教会では、特にクリスマス(降誕祭)とかイースター(復活祭)とかペンテコステ(聖霊降臨祭)のような大きな祝祭日にはなっていません。

新年というのは日本では一般に一年の中で大きなお祝いの日になっています。これと全く対象的なのが、私が20数年間滞在したフィンランドでして、クリスマスの期間が「お祝い」の期間になりますが、新年はと言うと、1月1日だけが休日、あとは12月31日まで仕事場もお店もやっていて、一日休んですぐ1月2日からはまた平常通りでした(ただし学校は「顕現日」のある1月6日位まで休み)。

フィンランドでクリスマスが「お祝い」の期間と言っても、日本のクリスマスの雰囲気とかなり違います。まず、12月24日クリスマス・イブの日の正午から職場もお店もみな閉まり、公共の交通機関も本数が激減します。この状態がクリスマスの日12月25日丸一日続きます。26日も休日ですが、一部の店は開きだして交通機関も平常ダイヤに戻ります。この間フィンランド人は何をしているかと言うと、大方はクリスマス・イブまでに実家に帰って、クリスマスの期間をそこで過ごします。クリスマスの前までに大掃除、クリスマスの飾りつけ、カードやプレゼントやクリスマスの料理の準備をします。とにかくクリスマス直前までの忙しさ慌ただしさと言ったらなく、日本の年末のようです。実家で過ごすと言うのも日本の新年の過ごし方と似ています。クリスマスの期間、何日間同じ料理を食べるというのも日本のおせち料理と同じです。ただし、これらはクリスマスの期間だけで、新年は特に大きな休みとは考えられていません。先ほど申しましたように1月1日が休日なだけで、学校が6日の「主の顕現日」くらいまでは休みとなる以外はあとは平常通りです。

フィンランドに滞在していた最初の頃は、クリスマスというのは日本の正月を1週間早めたようなものなんだな、と思ったものですが、年を重ねるごとに大きな違いも見えてきました。まず、フィンランドはクリスマス期間は国中が静まりかえる。とにかく電車もバスも止まってしまい、店も閉まってしまうのですから。日本だったら、初詣に行けなくなってしまい、人も神社もお寺も困ってしまうでしょう。教会に行くのはどうするのかと言うと、みんな地元の教会に行きます。実家に帰った人は実家の、帰らなかったり実家がなければ住んでいるところの教会です。歩いて行ける距離になければ、自家用車を使います。日本のように物凄い人だかりになることはなく、クリスマス・イブの日の夕刻の礼拝は一杯になるところが多いですが、クリスマスの日の早朝礼拝、翌日の通常の礼拝になるに従い出席者数は減るようです。

国中が静まり返って、人々は何をするのかと言うと、外出は教会に行く位で(近年は家でテレビ中継を見るだけの人も多い)、あとはずっと家にいます。食卓を華やかに飾ってクリスマス料理を家族や肉親と一緒に食べて、イブの日にはサンタクロースに来てもらって、親が既に用意したプレゼントを子供たちに渡してもらい、あとは日常のサイクルから解放された状態にいる(annetaan olla)ことに徹します。キリスト教の信仰がまだしっかり根付いている人の観点では、クリスマスというのは、救世主の誕生という大きな出来事に身も心も向けて、生活のために日々行っていることから離れて、救世主誕生のお祝いに徹する期間ということになります。安息日の精神に通じるものがあります。もちろん現代のフィンランドでは、クリスマスの意味をそこまで自覚して祝う人はもはや少数かもしれません。それでも、自分を超えた何か大きなことのために一時、自分を日常のサイクルから切り離して、その大きなこととの結びつきのなかに自分を置く、という姿勢は残っていると思います。

このようにクリスマスというのは本来、救世主の誕生という自分を超えた大きな出来事に身も心も向けて、生活のために日々行っていることから離れて、救世主誕生のお祝いのために時間を捧げる時です。日本の正月では大勢の人たちが神社仏閣に行きますが、何か自分を超えた大きなことのために自分を日常から切り離して、その大きなこととの結びつきの中に自分を置くということはあるでしょうか?三が日のお店の開店時間がどんどん増えて行くのを見ると、日常からの解放どころか、日常の肥大化があるような感じがしますが、どうでしょうか?(フィンランドでは昨年、法改正があって店の開店時間が自由化されました。クリスマスやイースターの期間に開店する店がどれくらい現れるか、いろんな意味で興味深いと思います。)

 

2.

 救世主の誕生をお祝いするというような大きなことのために自分を日常から切り離して、そのことの中に自分を置く、というのは限りある日常から離れた「永遠」というものを身近に感じさせることにもなります。先ほど読みました旧約聖書「コヘレトの言葉」3章11節で言われるように、天と地と人間を創造された神は人間に永遠を思う心を与えました。神にそのような心を与えられたにもかかわらず、日常にどっぷりつかっているだけだと、心は満たされなくなってしまうと思います。

それでは、永遠とは何か?簡単に言えば時間を超えた世界ですが、それでは時間を超えた世界とは何かというと、それの説明は簡単なことではありません。聖書の一番初めの御言葉、創世記1章1節に「初めに、神は天地を創造された」とあります。つまり、森羅万象が存在し始める前には、創造の神しか存在しなかったのであります。神だけが存在していて、その神が万物を創造しました。神が創造を行って時間の流れも始まりました。その神がいつの日か今ある天と地を終わらせて新しい天と地にとってかえると言われます(イザヤ書65章17節、66章22節、黙示録21章1節、他に第二ペトロ3章7節、3章13節、ヘブライ12章26-29節、詩篇102篇26-28節、イザヤ51章6節、ルカ21章33節、マタイ24章35節等も参照のこと)。そこは神の国という永遠が支配する世界です。今ある天と地が造られて、それが終わりを告げる日までは、今ある天と地は時間が進む世界です。神はこの天と地が出来る前からおられ、天と地がある今の時はその外側におられ、この天と地が終わった後もおられます。まさに永遠の方です。

神のひとり子イエス様がこの世に人間としてお生まれになったというのは、まさに永遠の世界におられる方が、限られたことしかないこの世界に生きる人間たちを、永遠の世界にいる神に守られて生きられるようにしてあげよう、そしてこの世の人生を終えたら神のもとに戻れるようにしてあげよう、そのためにこの世に来られたのです。人間が永遠の世界にいる神に守られて生きられるように、またこの世の人生を終えたら神のもとに戻れるようにするためには、どうしたらよいか?そのためには、人間を神聖な神と正反対のものにしている、人間に染みついた罪を取り除かなければなりませんでした。イエス様は人間の罪を自ら請け負って十字架の上まで運んで行って、人間にかわって罪の罰を受けて、人間が神の御前でも大丈夫になれるようにして下さいました。「イエス様が私の罪の罰を代わりに受けて下さったので、私は神の御前でも大丈夫な者にして頂きました。イエス様は真に私の救い主です。」そう告白する人は、本当に神の御前で大丈夫な者なのです。

先ほど読んだ「コヘレトの手紙」3章11節では、「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」とありました。この「神のなさる業を始めから終わりまで見極めることは許されていない」という下りですが、この部分は英語(NIV)、スウェーデン語、フィンランド語の聖書の訳も大体同じで、「神のなさる業を見極められない」と言っています(ドイツ語の旧約聖書は手元にないので確認できず)。ただ、ヘブライ語の原語を見れば見るほど、私にはどうも逆なような気がしてなりません。つまり、「神は、永遠というものを人の心に与えられた。それがないと(מבלי אשר)神のなさる業を始めから終わりまで発見することはできないというものを」という訳になるのではないだろうか。手短に言えば、「神は永遠というものを人の心に与えられたので、人は神のなさる業を発見することが可能なのだ」という意味です。機会があればヘブライ語の専門家に聞いてみたく思うのですが、それでもイエス様という永遠の御子が心に与えられてそれを受け取ることで、神の救いの業を発見することができるようになるというのは否定できないでしょう。

先ほど読んだ「コレヘトの言葉」3章の初めの部分で、「天の下の出来事にはすべて定められた時がある」として、生まれる時も死ぬ時も定められたものだと言われています。定められた時の例がいっぱい挙げられていて、中には「殺す時」、「泣く時」、「憎む時」というものもあり、少し考えさせられます。不幸な出来事というのは、自分の愚かさが原因で招いてしまうものもありますが、全く自分が与り知らず、ある日青天の霹靂のように起こるものもあります。そんなものも、「定められたもの」と言われると、この世で真面目に問題なく生きていても意味がないという気がして、あきらめムードになります。

また、「神はすべてを時宜に適うように造り」という下りですが、ヘブライ語の原文に即してみると、「神は起きた出来事の全てについて、それが起きた時にふさわしいものになるようにする」という意味です。これは、もし別の時に起こったのならばふさわしいものにはならなかったと言えるくらい、実際起きた時にふさわしいものだった、と理解できます。そうすると、起きたことは起きたこととして受け入れるしかない。そこから出発しなければならない。それでは、そこから出発してどこへ向かって行くのか?

ここで「永遠」を思い出します。もし「永遠」がなく、全てのことは今ある天と地の中だけのことと考えれば、そこで起きる出来事は全てこの罪にまみれた天と地の中だけにとどまります。真面目に問題なく生きていても意味がないというあきらめムードになります。しかし「永遠」があると、この世の出来事には全て続きが確実にあり、神のみ心、神の正義、神の義が目指し向かうべきものとして見えてきます。イエス様はマタイ5章の有名な「山の上の説教」の初めで、「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」というように、今この世の目で見て不幸な状態にいるような人たちの立場が逆転する可能性が満ちているということを繰り返して述べています。「慰められる」とか「満たされる」とか、ギリシャ語では全て未来形ですので、将来必ず逆転するということです。この世の段階で逆転することもあるかもしれないが、しなくとも最終的には「復活の日」、「最後の審判の日」に逆転が完結します。

この世は罪が入り込んだ世界ですので、自分では神の御心に適うように生きようと思っても、自分の罪に足をすくわれたり、また他人の罪の犠牲になってしまうことがどうしても起きてしまいます。そういう時、今ある天と地を超えたところで、その天と地を造られていつかそれを新しいものに変えられる方がいらっしゃることを思い起こしましょう。そして、その方が送られた救い主を私たちが信じ受け入れた以上は、その方は私たちに起こることを全て見届けていて、そういう危機の時にはどう立ち振る舞わなければならないかを聖書の御言葉を通して教えて下さっているということを思い起こしましょう。日々聖書を繙き、神の御言葉に耳を傾けましょう。そして、思い煩いや願い事を父なるみ神に打ち明けることを怠らないようにしましょう。とにかく私たちは「永遠を思う心」を頂いたのですから、その永遠の方との繋がりや対話を絶やしてしまっては、心は満たされなくなってしまいます。どうか今日始まった新しい年が、兄弟姉妹の皆さんにとって、永遠を思う心が良く満たされる年になりますように。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン


主日礼拝説教 顕現主日
2016年1月1日の聖書日課 ルカ12章22-34節、コヘレト3章1-11節、エフェソ4章17-24節

説教「僕を安らかに去らせて下さる神」吉村博明 宣教師、ルカによる福音書2章25-40節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。 アーメン

私たちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

 1.はじめに

 本日の福音書の箇所は、皆さんもよくご存知のシメオンのキリスト賛歌があるところです。皆さんがよくご存知というのは、この賛歌は礼拝の中のヌンク・ディミティスと呼ばれるところ、聖餐式が終わって教会の祈りを捧げる前のところで一緒に唱えられるからです。「今私は主の救いを見ました。主よ、あなたは御言葉の通り僕を安らかに去らせて下さいます。この救いは諸々の民のためにお供えになられたもの。異邦人の心を照らす光、御民イスラエルの栄光です」といつも賛美しているところです。「ヌンク・ディミティス」というのは、この賛美の2つ目の文の中にある言葉「今あなたは去らせて下さいます」のラテン語です。この2つ目の文の全文は「主よ、あなたは御言葉の通り僕を安らかに去らせて下さいます」ですが、福音書の中では冒頭に来ます。福音書と礼拝式文とで最初の二つの文の順番が入れ替わっているのですが、この福音書では冒頭の文、式文では二番目の文をちょっとラテン語で読んでみます。

Nunc dimittis servum tuum, Domine, secundum verbum tuum  in pace:

なんだかローマ法王みたいな雰囲気になりますが、宗教改革者のルターは、聖書はラテン語を通さず直接原語から訳すことを重視した人です。それで、同じ文を原語のギリシャ語でも読んでみます。

νῦν ἀπολύεις τὸν δοῦλόν σου, δέσποτα, κατὰ τὸ ῥῆμά σου ἐν εἰρήνῃ·

 さて、本日の説教題は「僕を安らかに去らせて下さる神」ですが、教会の外の掲示板用に説教題を拡大プリントした後で、一つのことに気がつきました。「僕を安らかに」と書いてありますが、この「僕」という漢字が「しもべ」ではなく、道行く人たちに「ぼく」と読まれてしまうのではないか。聖書を読む人なら「しもべ」とわかるだろうが、「ボク」と読んでしまった人はどう思うだろうか。「ボクを安らかに去らせて下さる神」だと、なんだかキリスト教というのは人をこの世から静かに退場させる宗教で、この世での活動や生き様をないがしろにするような印象を与えてしまわないだろうか、と心配になりました。それで、漢字の横に「しもべ」と振り仮名を付ければ、安らかに去るのが誰か聖書に登場する人物に特定されて、一般の人には無関係と理解されるのではないだろうかと思ったりしました。

しかし、天と地と人間を造られた神というのは、やはり人間がこの世から去る時は安らかにできるようにするということは否定できないので、問題となっている漢字はむしろ「ぼく」と読まれたほうがいいのではないかとも思われました。神というのはボクも私もあなたも皆、この世を安らかに去らせて下さる方だとわかったら、じゃ出口は整ったので、そこに行くまでの期間をどう生きようか、この期間は神に与えられた時間なので神の御心に適うように生きよう使おう、という心意気になって、それでこの世での活動や生き様をないがしろにすることにはならないのではないか。それで振り仮名は付さないことにしました。

そういうわけで本説教では、イエス様を救い主と信じる者が、シメオンのように、本望だ、もう思い残すことは何もない、という思いでこの世を去ることができるかどうかということも考えてみたく思います。その前に、本日の福音書の箇所にある出来事の中で、聖書をよく読まれる方が一つ疑問に感じることがありますので、それを少し見ていきます。その次に、シメオンのキリスト賛歌を見て、最後にキリスト信仰者の本望について考えてみようと思います。

 

2.

本日の福音書の箇所で疑問に感じられることと言うのは、出来事として赤ちゃんのイエス様がエルサレムの神殿にマリアとヨセフに連れられて来ます。それは、ユダヤ教の律法に従って、出産後の母親の清めの儀式を行うためでした。ところが、マタイ福音書2章によれば、生まれたばかりのイエス様はヨセフとマリアともにヘロデ王の手から逃れるためにエジプトに避難したことになっているのです。マタイによれば、親子三人はヘロデ王が死ぬまでエジプトに滞在したことになっています。イエス様誕生後の時間の流れはどうなっていたのでしょうか?

ルカ2章21節をみると、イエス様が誕生後8日目にユダヤ教の律法に従って割礼を受けたことが記されています。(レビ記12章3節、創世記17章10~14節)。それから22節から24節までをみると、律法によれば、子の割礼後、母親は99日間清めの期間を守らなければならず、それが過ぎた後で神殿に行って子羊ないし山鳩の生け贄を捧げて清めが完了したことになります(レビ記12章4-8節)。ヨセフとマリアとイエス様が神殿に行ったのは、この律法の規定を守るためでした。すると、割礼の後三人はどこにいたのでしょうか?約3か月間の清めの期間中は神殿には行けないことになっているので、それがエジプト避難の期間にうまく当てはまります。

しかし、それでも時間的にうまくつじつまがあわないことがあります。三人がエジプトからイスラエルに帰還するのはヘロデ王が死んだ後で、王の死は歴史上は紀元前4年とされています。するとイエス様の誕生は紀元前4年ないし5年になる。しかしながら、ローマ帝国が行った租税のための住民登録の実施年としては紀元前7年が有望とされていて、紀元前4年ないし5年に登録があったという記録は見つかっていない。さらに、普通にはない星の輝きが見られたということに関して、紀元前6年に木星と土星の異常接近があったことが天文学的に計算されています。もし、紀元前6、7年をイエス様の誕生年とすると、三人のエジプト滞在は3か月より長くなってしまいます。イエス様はシメオンが腕に抱き上げるくらいの大きさで、あまり大きな子供ではない。また、ヘロデ王が死んだ後、息子のアルケラオがユダヤ地方の領主になって、三人はエジプトからイスラエルの地には戻るけれども領主を恐れてナザレのあるガリラヤ地方に向かったとあります(マタイ2章21-23節)。そういうわけで、イエス様の誕生は紀元前7年から4年の間として、エジプトから帰る途中でエルサレムの神殿で清めの儀式を済ませて、ナザレに戻ったとみるのが妥当なのではないかと思われます。

 こういうふうに、イエス様誕生の後の時間の流れは、ジグソーパズルがもう少しで全部埋まりそうで埋まらないもどかしさがあります。しかし、これはやむを得ないことであります。大人の時のイエス様の言行録は、12弟子という目撃者によってつぶさに目撃され記録され伝えられました。それに比べると、大人になる前の出来事は、ヨセフが生前に周囲の者たちに語ったことや、もっと長く生きたマリアが弟子たちに語ったことが中心になるので、目撃者に限りがあります。細部に不明な点が出てくるのは止むを得ないのであります。しかし、大きく全体的に見れば、書かれた出来事が互いに矛盾しすぎて無効になるような、そんな大きな対立点はないのであります。

 

3.

イエス様とマリアとヨセフの三人がエルサレムの神殿に立ち寄って、清めの儀式をした時、シメオンという老人が近寄ってきて、イエス様を腕にとって神を賛美しました。この子が、神の約束されたメシア救世主である、と。ここで、シメオンのキリスト賛歌を見てみましょう。

 シメオンは、「イスラエルの慰め」(παρακλησις του Ισραηλ)を待っていて、メシア救世主を見るまでは死ぬことはないと聖霊に告げられていました。そして、メシアはこの子だと聖霊によって示されて賛美を始めました。

ところが、待望のメシア救世主の将来はいいことづくめではありませんでした。シメオンはイエス様について預言を始めます。この子は将来、イスラエルの多くの人たちにとって「倒したり立ち上がらせる」ような者になる。つまり、イエス様は多くの人たちを躓かせることになるが、また多くの人たちを立ち上がらせることにもなる。実際そうなりました。自分たちこそが旧約聖書を正しく理解して天地創造の神の意思を正しく把握していると思っていた律法学者やファリサイ派のような宗教エリートたちが、イエス様から全然そうではないと暴露されて、彼に躓いてしまいます。イエス様は文字通り「反対を受けるしるし」になってしまい、十字架刑に処せられてしまいます。十字架の上で苦しみながら死んでいくイエス様を自分の目で見なければならなくなるマリアは、文字通り「剣で心を刺し貫かれた」ようになります。

 しかしながら、イエス様はただ単に反対され、躓きを与えただけではありませんでした。多くの人たちを立ち上がらせることにもなりました。イエス様の十字架の死は、ただ単に反対者から迫害を受けてそうなったということではありませんでした。神の計画がそういう形をとって実現したということでした。それでは、神の計画とは何かというと、それは、人間の罪がもたらす罰を神が人間に受けさせるのではなく、自分のひとり子のイエス様に全部請け負わせたということ、つまり、イエス様を人間の身代わりの生け贄にしたというのが十字架の真相だったのです。神はなぜそうしたかと言うと、罪の罰は人間が受けるにはあまりにも重すぎたからです。さらに神は三日後にイエス様を死から蘇らせて、人間のために死を超えた永遠の命に至る扉を開いて下さいました。人間は、これらのことが罪と死の支配から救われるために神が起こしてくれたのだとわかって、それでイエス様を救い主と信じて洗礼を受ければ、イエス様の犠牲に免じて罪を赦され、永遠の命に至る道に置かれて、その道を歩めるようになったのです。このように、イエス様のおかげで「立ち上がる」者も多く出たのです。使徒たちがこの「罪の赦しの救い」という福音を伝え始めると、それを受け入れて「立ち上がる」者も出た一方で、受け入れずに反対する者も出た。まさにシメオンが預言した通りになったのです。さすがに聖霊を受けただけあって完璧な預言でした。

 シメオンがイエス様を腕に抱き上げて賛美と預言をしていた時に、ハンナという人生の大半をやもめとして生きてきた老婆がやってきました。神に自分自身を捧げることに徹し、神殿にとどまって断食したり祈りを捧げて昼夜を問わず神に仕えてきた女性です。聖書に「預言者」と言われるからには聖霊の力を受けていたわけですが、やはりイエス様のことがわかりました。それで、周りにいた「エルサレムの救い(贖いλυτρωσις Ιεροθσαλημ)を待ち望んでいる人たち」に、この幼子がその救いの実現であると話し始めたのです。

シメオンとハンナの賛美や預言をみて一つ気になることは、二人ともイエス様が全人類の救世主であるとわかっていたのに、彼らの言葉づかいや、またこの出来事を記したルカの書き方を見ると、「イスラエルの慰め」とか「エルサレムの救い(贖い)」とか、どうもユダヤ民族という特定民族の救い主であるような言い方、書き方をしていることです。「イスラエルの慰め」というのは、イザヤ書40章1節や49章13節にある預言、「エルサレムの救い」というのは52章9節にある預言がもとにあり、イエス様の誕生はこれらの預言が実現したと理解されたのです。

イザヤ書の40章から55章までの部分は一見すると、イスラエルの民が半世紀に渡るバビロン捕囚から解放されてイスラエルの地に帰還できることを預言しているように見えます。実際にこの帰還は歴史上起こりまして、エルサレムの町と神殿は再建されました。ところが、帰還と再建の後も、イスラエルの民の状況はかつてのダビデ・ソロモン王の時代のような勢いはありませんでした。ほとんどの期間は異民族の大国に支配され続け、神殿を中心とする神崇拝も本当に神の御心に適うものになっているかどうか疑う向きも多くありました。それで、イザヤ書40章から55章までの預言は実はバビロンからの帰還後もまだ実現していない、未完の預言だと理解されるようになりました。

加えて、イザヤ書56章から後は、今存在する天と地が終わりを告げて新しく創造される天と地に取って代わるという預言が出て来ます。それで40章から55章までの預言も、そういう終末論の観点から理解されるようになります。イザヤ書53章に登場する有名な「主の僕」という者も、バビロン捕囚で苦しみを受けたイスラエルの民を象徴する者ではなくなって、罪と死に支配される人間を神のもとに立ち返らせて神との結びつきを回復してくれる人類全体の救世主として理解されるようになりました。このように旧約聖書の預言を理解していたのはユダヤ民族の一部でしたが、その理解が正しかったことが、イエス様の降誕、十字架の死、死からの復活で明らかになったのです。どうして、ユダヤ民族のみんながこのように理解しなかったかと言うと、それは、現実に異民族に支配されている状況があって、そこからの解放を夢見ていると、メシアはどうしても自民族の解放者として捉えられてしまったのです。

 シメオンの賛美の言葉もよく見ると、ルカ2章31節と32節に、メシア救世主がユダヤ民族の解放者ではなく、全人類にかかわる救世主であることをちゃんと言っているのがわかります。32節は、イザヤ書49章6節の預言「わたしはあなたを僕としてヤコブの諸部族を立ち上がらせ、イスラエルの残りの者を連れ帰らせる。だがそれにもまして、わたしはあなたを国々の光とし、わたしの救いを地の果てまで、もたらす者とする」、これが実現したことを言っています。「それにもまして」というのは、原語のヘブライ語では、それでは不十分だ、足りない、スケールが小さすぎるという意味です。神が自分の僕と呼ぶ救世主のなすべきこと、それは、諸国民の光となり、神の救いを全世界にもたらすことだと言うのです。

 そういうわけで、ルカや他の福音書の中にユダヤ民族の救いや解放を言うような言葉遣いや表現があっても、それは旧約聖書の預言の言葉遣いや表現法に基づくものであり、それらの預言の内容自体は全人類に及ぶ救いを意味しています。ユダヤ人であるか異邦人であるかに関係なく、その救いを受け取る者が真のイスラエルの民なのであり、永遠の命に与る者が迎え入れられる神の御国が天上のエルサレムと呼ばれるのであります。

 

4.

 シメオンは、メシア救世主を見るまでは死ぬことはないと告げられ、そしてイエス様を目にしました。本望だ、もう何も思い残すことはない、という気持ちに満たされました。いつ死んでも悔いはない、というのであります。私たちは今のところはイエス様を目で見ることはできませんが、神がイエス様を用いて実現した救いを受け取ることはできます。その救いを受け取って、シメオンと同じように、いつ死んでも悔いはないという気持ちになれるでしょうか?

人は誰でも、成し遂げたい実現したい計画や志があると思います。計画とか志とかそこまではっきりしたものでなくても、こうなったらいい、こうなってほしいという希望があると思います。そうしたものが実現した時には、本望だ、もう何も思い残すことはない、という気持ちになるでしょう。しかし、もし実現しなかったら、キリスト信仰者といえども、やはり残念無念となり、場合によっては死んでも死にきれないという気持ちが起きるかもしれません。

それでも、キリスト信仰では復活ということがあるのを忘れてはなりません。もちろん、志半ばで終わってしまったら、悲しいし残念無念であります。しかし、キリスト信仰者の場合はそこで全てが終わってしまうことはない。将来、復活の日、最後の審判の日が来て、全ての事柄が最終的に清算される。神の目から見て、この世で払い過ぎを余儀なくされた者は無限と言えるくらいに払い戻しを受け、逆の立場の者は無限と言えるくらいに埋め合わせをしなければならなくなって神の正義が最終的に実現する。その時、永い眠りから目覚めさせられて復活の体と永遠の命を与えられる者は、この世で中途半端に終わってしまったことが新しい世で完結する。天の御国の祝宴に招かれて、この世での労苦が労われる。このようにイエス様を救い主と信じる信仰を持って生きる者にとっては、この世で神の御心に適う生き方をして、つまり神を全身全霊で愛し隣人を自分を愛するが如く愛して、無駄に終わるということは決してなく必ず報われるのです。

そういうわけで、兄弟姉妹の皆さん、シメオンは約束されたメシアを目にしていつ死んでも悔いはないという気持ちに満たされました。私たちはと言うと、このメシアが実現してくれた救いそのものを受け取ったのです。私たちには、このはかり知れない神の恵みに対する感謝の気持ちがあるので、神の御心に適うようにこの世を生きようと志向します。それで、今すぐこの世から立ち去ってもいいとは簡単には言えません。しかしながら、御心に適うように生きようとして志半ばで終わるようなことがあっても、復活があるゆえに、永久に残念無念に終わってしまうことはなく、シメオンのように本望だ、もう何も思い残すことはない、ということになるのであります。この世の出口でイエス様を全身全霊で信頼してその御手に自分の全てを委ねて天の御国の入り口に引っ張り上げてもらいます。神は本当にボクを、ワタシを安らかに去らせて下さるのです。

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように         アーメン


主日礼拝説教 降誕後主日
2015年12月27日の聖書日課 エレミア31章10-14節、ヘブライ2章10-18節、ルカ2章25-40節