説教「イエス様の二正面作戦」吉村博明 宣教師、マルコによる福音書2章1節-12節

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなたがたにあるように。

わたしたちの主イエス・キリストにあって兄弟姉妹でおられる皆様

1. はじめに

 「二正面作戦」などとはきな臭い言葉ですが、これはもちろん、イエス様が何か軍事的な活動を行ったということではありません。それでは、何が二正面作戦なのかと言うと、イエス様は本日の福音書の箇所で、二つの大きな敵に前方と後方の両面で遭遇しながらも、瞬く間に双方を打ち倒したということです。イエス様が遭遇した二つの敵とは一体、何だったのでしょうか?本日の福音書の箇所を少し前後をひろげてみて、その中に本日の箇所をおいてみると、いろんなことが見えてきます。そういうわけで、まずはマルコ福音書に沿って出来事の流れをみていきましょう。

 

2. マルコ2章1-12節 ― イエス様の宣教の転換点

ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたイエス様は、ユダヤの荒野で悪魔から試練を受け、それに打ち勝ちました。その時、洗礼者ヨハネがガリラヤ地方の領主ヘロデ・アンティパスに捕らわれたとの報が伝わり、イエス様は、そのガリラヤ地方に乗り込みます。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、良い知らせを信ぜよ」と宣言し、そうしてイエス様の宣教活動がいよいよ始まります。シモン、アンデレ、ヤコブ、ヨハネの4人の漁師を最初の弟子に召し出しました。以上は、マルコ1章20節までの出来事です。本日の箇所の理解のためには、そこから先の流れをよく注意してみる必要があります。

マルコ1章21節で、イエス様はガリラヤ湖畔の都市カファルナウムに入ります。そこでは、出来事に満ちた長い一日が待っていました。イエス様は、まず会堂の安息日の集会で会衆に教えます。会衆は、その教えが律法学者とは異なった権威を持つ教えであると気づき、驚嘆します(22節)。会堂には汚れた霊にとりつかれた男がいましたが、イエス様は男から霊を追い出します。会衆は一層驚嘆し、イエス様の教えは「力を伴った新しい教え」だと口々に言います(27節)。この出来事がもとでイエス様の評判は、たちまちガリラヤ地方の全域に広がります(28節)。

会堂から出たイエス様は、4人の弟子たちとすぐシモンとアンドレの家に行きます。そこで、シモンの病気のしゅうとめを癒します(29-31節)。ところが、日が沈むころまでには、大勢の人々が病人や悪霊にとりつかれた人を大量に連れてくるようになり、さながら家の前にカファルナウムの全住民が押し掛けたような状態になりました。それでも、イエス様は彼らを癒され、悪霊を追い出しました(32-34節)。ここで初めてイエス様の大量癒しが始まったのです。

 35節によると、イエス様は朝とても早い時刻に家を出て、祈るために人気のない所に抜け出しました。イエス様の癒しの業はほぼ徹夜で続けられたのでしょう。後を追ってきた4弟子がイエス様に言います。群衆があなたを探しています、と。なぜ群衆がイエス様を探しているかというと、それは明らかに癒してもらうためであります。そのことはイエス様の次の言葉からもうかがえます。「別のところへ行こう。宣べ伝えができるように近隣の町や村に行こう。そのために私は家を出て来たのだから(38節)。」つまり、イエス様としては、教えを宣べ伝えることを主眼としているのに、人々は癒しを受けることを主眼にしている。もちろんイエス様は、一貫して癒しの活動を続けますが、彼としては、教えあっての癒しでなければならない。それなのに、どうも人々の方はなんでもいいから癒しを先にして下さい、という状況があったことが見えてきます。

 39節によると、イエス様はガリラヤ地方全域の会堂を回って、教えを宣べ伝え、悪霊の追い払いをしたとあります。その時起きた出来事として、らい病患者の癒しがあります。「宣べ伝え第一主義」のイエス様でしたが、患者のあまりにも切ない、へりくだった嘆願に心を動かされて彼を癒します(40-41節)。癒された男にイエス様は命じます。「誰にも何も言うな、黙ってモーセ律法の規定通りに(レビ記13章49節、14章2-4節)体を祭司に見せて清めの儀式を執り行ってもらいなさい」と(43-44節)。イエス様が誰にも言うなと命じたのは、「宣べ伝え第一主義」の方針に立っていたので、癒しを目的に群衆が押し寄せる事態は避けたかったのでしょう。しかし、癒しを受けた人は、イエス様の命令を聞かず、出来事をおおっぴらに広めてしまいます。その結果、町の中にいても外に退避してもどこにいても、一層大勢の人たちがイエス様のもとに集まるようになってしまい、結局はカファルナウムに戻ってきてしまいます。そこで本日の福音書の箇所である2章1-12節が始まるという次第です。

イエス様は、ある家に入られますが、家の中も周りも全て人、人、人でぎっしり埋めつくされています。それでも、人々を前にイエス様は教えを宣べ始めました。集まった人たちの中には、健康で特に癒しの必要がなく、ただ教えを聞くために来た人もいたでしょう。しかし、今までの流れからみて、大半は癒しを必要とする人たちや彼らを運んできた人たちであったことは明らかです。彼らは黙って教えを聞いていますが、いつ癒しが行われるかと、それを今か今かと待っています。まさにその時、4人の男が全身麻痺状態の病人を寝床ごと運んできました。しかし、大勢の人に遮られてイエス様に近づくことができません。そこで、彼らはなりふり構わず、屋根に上ってそこに穴をあけて、そこからイエス様のもとに寝床ごと吊り下ろすという挙にでたのです。教えを中断することを余儀なくされたイエス様でしたが、5人の男たちが彼なら必ず治せると信じきっていて一寸も疑っていないことを目のあたりにしました。まだ十字架と復活の出来事が起こる前のことですが、イエス様は男たちが自分に寄せる絶大な信頼に、信仰のあるべきかたちを見出したのであります。教えを中断したイエス様は、吊り下ろされた男と向き合いました。

そこでイエス様の口から出た言葉は、意外にも癒しの言葉ではありませんでした。それは、「お前の罪は赦される」という罪の赦しの宣言でした。この時点では、男はまだ寝床に横たわったままです。さて、これは一体どういうことか?今まで大勢の人々を癒してきたのに、何も起きないではないか?自分たちは癒しを受けるために、ここに来たのに。人々がそう反応するかしないかという時に、意外な展開が始まりました。その場にいて様子を窺っていた律法学者たち、モーセ律法などイスラエルの聖典を研究し解説するのを職業とする律法学者たちが、イエス様に難癖をつけ始めたのです。罪を赦すことができるのは神をおいていないのに、この男は自分を神と同等の地位に置いた、神を侮辱するものである、と。

その後の展開は、本日の福音書の箇所に記されている通りです。結果的に男の人は癒されます。しかし、大事なことは、イエス様は、それまで会堂での悪霊追い出しや、シモンのしゅうとめやらい病患者の癒しの時のように、即座に癒しを与えなかったということです。これまで見てきたように、イエス様は教えを宣べ伝えることを第一に考えていました。ところが、評判が広まれば広まるほど、人々は癒しを受けることを第一にして集まってきました。その繰り返しが、本日の箇所で一段落します。注目すべきは、本日の箇所の前では、「イエス様は教えられた」と書かれてはいても、教えの内容には全く触れられていませんでした。マルコの記述は、イエス様は教えかつ癒したが、人々は癒しを求めては集まり、その度にイエス様は場所を変えて教え癒し、そしてまた人々が集まってくるという繰り返しが中心でした。それが、本日の箇所の後では、教えの内容が詳しく記されるようになるのです。本日の箇所の直後に、イエス様はなぜ罪びとと会食するのかという議論があります(2章15-17節)。それに続いて断食の是非についての論争(18-22節)、安息日の意味についての論争(23節から3章6節)があります。その後も、ベルゼブル論争、イエス様の真の家族についての教え、「種まき人」をはじめとするたとえを用いた教え、というふうにイエス様の教えの内容を前面に出す記述が続いて行きます。

本日の箇所の前でイエス様の教えの内容が記されていないというのは、実際に人々が教えよりも癒しを求めたという当時の雰囲気を表していると言えます。それが、本日の箇所から後は教えの内容が詳しく記述されるというのは、本日の箇所の出来事をきっかけとして、人々の間でイエス様の教えそのものが注意して聞かれるようになったことを反映していると言えるでしょう。

そのようにしてみていくと、本日の福音書の箇所は、イエス様というのは、単に病気を治してくれるありがたいお方という程度をはるかに超えたスケールの持ち主であるということ、そのことに人々の目を向けさせる転換点になっていると言うことができます。それでは、このマルコ福音書の最初の大きな転換点をなす本日の箇所の出来事ですが、そこで一体何が起こったのでしょうか?イエス様が同時に二つの敵を相手にそれを見事に打ち負かしたというのはどういうことでしょうか?これから、そのことをみてまいりましょう。

 

3. 第一の敵 人間の自己中心的な信仰

イエス様が直面した敵として、まず、人間の自己中心的な信仰がありました。イエス様は、これを神を中心とする信仰に置き換えようとしました。以下このことをみていきます。

イエス様の時代のユダヤ教社会では、人間の罪が病気の原因になると考えられていました。ヨハネ9章で、弟子たちがイエス様に、生まれつき目が見えない人を指さして、あれは本人が罪を犯したからそうなったのか、それとも先祖が犯したからなのか、と尋ねたことがありますが、まさにそうした考えを表しています。このような考え方が問題なのは、それでは今健康な人は罪と無縁な人間ということになってしまいます。そんなことはありえなのに、こんな考えでいたら、健康な人は、自分を造ってくれた創造主の神と自分の関係について真剣に考えることはないでしょう。また病気の人の立場から見ても、いくら罪の赦しを宣言してもらっても、病気が治らなかったら、罪の赦しは本当ではなかったということになってしまいます。本日の箇所のイエス様は、まさにそのような状況に置かれたのです。「お前の罪は赦される」と宣言しました。しかし、男はまだ横たわっています。もし律法学者が騒ぎ立てなかったならば、周りの人たちが騒ぎ立て始めたでしょう。なんだ、何も起こらないじゃないか、と。これがまさに、信仰が人間の自己中心的なものになっていることであります。

 信仰が人間の自己中心的なものになっているというのはどういうことかと言うと、人間の側からすれば、まず病からの癒しが最初に起きなければならない、それを目で見ないとまだ本当だとは信じない、ということが普通です。ところが、イエス様はまったく逆の順番を考えていました。まず罪が赦されなければならない、健康であろうが病気であろうが、そっちが先に来なければならない。罪が赦されてはじめて、病気その他の外的な条件の改善を神にお願いするという順番です。まさに、「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」とイエス様が教えた通りです(マタイ6章33節)。それでは、罪を赦されて、神にお願いしたら、神はお願いを聞いてくれるのか?お願いしたものと違うものだったらどうなるのか?そういう疑問に対して、神を中心にする信仰は、次のように答えます。「罪を赦して下さった神が与えて下さる解決であれば、なんでも受け入れるに値するに違いない。自分にとって一番いいものを知っているのは自分ではなく、自分を造られ、そして自分の罪を赦して下さった神なのだから」。こうなると、外的な条件が自分の希望する形で解決改善しなくても、人生は終わったとか無意味だとか、そんな思いにはなりません。罪が赦されるということが、自己中心的な信仰を、神を中心とする信仰にかえるのです。

 なぜイエス様は、罪とか神への不従順というものが赦されることがまず初めに来るべきと考えたのでしょうか?それは、罪や不従順が人間にとっての最大の病だからであります。最大の病というのは、これらから癒されない限り、人間は永遠に終わらない滅びの中に入ってしまうという呪われた状態を引きずってしまいます。反対に、この病から癒されると人間は、呪われた状態から解放され、神との結びつきを持ってこの世の人生を歩むことができるようになり、万が一この世から死んでも、その時は自分の造り主である神のもとに永遠に戻ることができるようになります。

それでは、どうしたら人間はこの最大の病から癒されることができるのでしょうか?人間は、自分の力で罪と神への不従順を除去することはできません。というのは、人間は神の神聖な意志を全うしたり体現することができないからです。神が人間に対して守りなさいと与えた十戒があります。しかし、それも、使徒パウロが教えたように、人間がどれだけ神聖な神からかけ離れた存在であるかを明らかにするだけです(「ローマの信徒への手紙7章」)。人間は、それくらい根深く罪と神への不従順に取りつかれているのです。神としては、人間が癒されて霊的に健康になってほしい、そして自分との結びつきを持ってこの世の人生を歩めるようになってほしい、万が一この世から死んでも永遠に自分のもとに戻れるようになってほしい、そう願っているのですが、人間は自分の力ではどうすることもできません。

そこで神は打開策として、次のような挙に出ました。まず、ひとり子イエス様をこの世に送りました。そして、人間が知っていてか知らないでか背負っているもの、つまり罪と不従順の行きつく先にある悲惨、これを人間に代わって全部イエス様に引き受けさせました。つまり神は、ひとり子イエス様を呪われた者に仕立てて(ガラテア3章13節、第二コリント5章21節)、人間の身代わりとして本来人間が受けるべき罪と不従順の罰を彼に受けさせたのです。これがゴルガタの丘の十字架の上で起きたことでした。さらに神は、十字架の上で死んだイエス様を三日目に復活させて、永遠の命に至る扉を人間のために開いて下さいました。私たち人間は、これらのこと全てが自分のためになされたのだとわかって、それでイエス様こそ自分の救い主だと信じて洗礼を受けると、神の方では、イエス様の身代わりの犠牲に免じて人間を赦して下さるのです。このように神から「罪の赦しの救い」を受け取った人間は、神との結びつきを持ってこの世の人生を歩むこととなり、順境の時にも逆境の時にも絶えず神から良い導きと守りを得られ、万が一この世から死ぬことになっても、その時は自分の造り主である神のもとに永遠に戻れるようになったのです。これが、人類最大の病から癒さるということです。

イエス様が全身麻痺の男に「お前の罪は赦される」と宣言したことは、お前は全身麻痺の状態であっても人類最大の病から癒されるということを意味していたのです。それは、人間の自己中心の信仰を神中心の信仰に置き換える出来事でした。もちろん、イエス様なら必ず癒して下さると一途に信じることも信仰ですが、そういう信仰は、もし癒しが起きなければ大きな壁にぶち当たってしいます。しかし、外的条件の解決改善が自分の願った通りに実現するかしないかに関係なく、「罪の赦しの救い」は確実にあるという信仰は、神を中心とする信仰です。イエス様は、ここで、彼の助けを求めて集まってくる人たちの信仰を、神を中心とする信仰に転換させようとしているのです。しかし、罪の赦しの宣言を受けた男はまだ横たわったままです。目に見えた効果がありません。イエス様の言葉には力がなかったのか?ただの口先だけの宣言だったのか?群衆は一瞬沈黙状態になります。その時、律法学者が割り込んできました。人間の自己中心的な信仰に続いて、イエス様が神のひとり子であることを否定する不信仰が立ち現われます。これが第二の敵です。

 

4. 第二の敵 不信仰

 イスラエルの聖典に照らし合わせれば、そこには病気からの癒しの奇跡もあるし、神の意志を宣べ伝える預言者もいるので、イエス様の奇跡の業や教え自体が聖典に反するということにはなりません。律法学者にすれば、今評判になっている奇跡の業をこの目で確かめてみたいでしょうし、イエス様の教えがこれまでの律法理解とどう違うっているのか、違うとすれば何を根拠にそう主張するのか、職務上、しっかりみなければならなかったでしょう。ところが、罪の赦しを宣言して、自分を神と同等の地位に置いたというのは、もう行き過ぎ以外の何ものでもありません。

そこで、イエス様が神のひとり子であることを否定する彼らの不信仰に対して、イエス様の反撃が始まります。イエス様は、律法学者に向かって問いただしました。この横たわっている男に、「お前の罪は赦される」と言うのと、「起きて、床をかついで歩いてみよ」と言うのとでは、どちらが簡単なことか?これは、答えることが困難な質問であります。「罪を赦す」というのは、前にも申しましたように、人類最大の病を癒すということですから、立てない人を立てるようにする癒しとは比べものにならない大治療です。簡単にできる治療ではありません。その意味では、「罪の赦し」の方が難しいのは明らかです。しかし、罪の赦しというのは、全身麻痺が治るのとは勝手が違って、目に見えた形では治癒は見えません。ただ口先で言って済んでしまうことも可能です。誰も目で確認できないのですから。その意味では、罪の赦しを言うこと自体は、簡単なことであります。問題は、罪の赦しの言葉が実質を伴ったものか、それとも空虚な言葉にすぎないのか、判別できないことにあります。立てない者に「立て」と言う場合は、言葉が実質を伴っているか空虚なものか、これはすぐ判別できます。もし立てなかったら、言葉は空虚だったとわかり、まやかしだと笑い者になるだけです。それで、常識的には、癒しの言葉の方が言うのが難しいということになります。しかし、人間にとって本当に解決しなければならない問題である罪の赦しの方がはるかに難しい問題です。

こうして問題の焦点は、言葉が実質を伴っているか、それとも空虚なものか、それをどう判別できるのかということに絞られていきます。ところが、その決め手がないので答えようがありません。そこでイエス様は、親切にもその決め手を提供します。自分の発する言葉はいつも必ず実質を伴っていることを示すために、全身麻痺の男の癒しがちょうど良い機会となりました。イエス様は、まず律法学者の方を向いて言います。「お前たちが、人の子はこの世で罪を赦す権威を持っていることをわかるように」。そうと言って、今度は横たわる男に向かって命じます。「起きて、床をかつぎ、家にとんで帰りなさい」。そしてその通りのことが起きました。

 このようにして、イエス様は、自分の発する言葉は、目には効果が見えない場合でもいつも必ず実質を伴っていることを示しました。つまり、罪の赦しを与える権威を持つことを目に見える形で示されたのです。これによって、イエス様が神のひとり子であることを否定する不信仰は一挙に根拠を失ってしまいました。同時に、罪と不従順の赦しが、人間の命と生きることにとって根本的なことであることも明らかになりました。こうして、人間の自己中心的な信仰が神を中心とする信仰に取って代わられることが始まったのであります。

 

5. おわりに

 以上、イエス様が本日の箇所の出来事において、二つの敵、一つは人間の自己中心的な信仰、もう一つは彼が神のひとり子であることを否定する不信仰、これら二つを一挙に打ち倒したことが明らかになりました。ところでルターは、私たちが真の希望を持てるかどうかの鍵になるのは「忍耐」と「聖書から得られる励まし」の二つであると教えています。この二つは、神中心の信仰にとっても鍵になりますので、最後にルターのこの教えを引用して、本説教の締めとしたく思います。

「使徒パウロは、ローマ15章4節で、『忍耐』と『聖書から得られる励まし』の二つを結びつけている。聖書そのものは、我々を労苦や逆境そして死から解放してくれない。むしろ、聖書は我々が神聖な十字架の重荷を背負うようにと宣言する。だからこそ、忍耐が必要になるのである。しかし、我々が忍耐の必要性を自覚するや否や、聖書は労苦の只中にある我々を励まし強めてくれるものになる。それで我々の忍耐は萎れてしまうことなく、逆境の中をよく進み、最後には勝利に導いてくれるのである。聖書を通して神から「あなたと共にいて守ってあげよう」という励ましの言葉を聞くと、我々は喜びに満たされ勇気を与えられて、心をヘリ下させて苦難に臨むことができるのである。

忍耐強くあることは必要不可欠である。なぜなら、我々のこの世の人生の歩はつまるところ、我々の内にあって永遠の死に定められた古いアダムを日々死なせていくという課題をこなしていくことだからだ。その課題の日々にあって我々は、来るべき永遠の命というものを見ることも感じることもできない。だからこそ、我々には、忍耐強くしっかり自分を繋ぎ止めるものがなければならない。来るべき永遠の命がそれである。永遠の命は聖書の神の御言葉の中にあり、また御言葉は永遠の命そのものである。だから、我々は御言葉をただ信頼して、その中にしっかり留まるようにすればよいのである。そうすれば我々は、あたかも大きな安全な船に乗って、この世の人生を通って永遠の命の人生に向かって進む航海に連れて行ってもらえるのである。まさに、忍耐強く御言葉に留まる者は希望を失わないと言われる所以である。

聖書というものは、我々が苦難や悲しみの中にある時、また死に直面した時、我々を励ますままに任せるならば、正しく用いることになる。まさにそれゆえ、苦難や死について何も知らない者は、聖書から得られる励ましについても何も知りうることができないのである。この励ましは、字面だけからでは習得できない。経験と結びつかなければ習得できないものである。」(注)

 

人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安があなたがたの心と思いとをキリスト・イエスにあって守るように。アーメン

 

(注)ルターは、ローマ15章4節をもとにしてこの教えを宣べていますが、彼の教えはギリシャ語原文の忠実な訳に基づいて編み出されています。ところが、新共同訳、英語のNIV,訳、フィンランド語訳の聖書では原文がかなり崩されてしまっていて、このような教えが見えにくくなっています。ルター訳のほかにギリシャ語原文に忠実な訳をしているものは、スウェーデン語訳とドイツのEinheitsübersetzung訳があげられます。どういうことか詳しくお知りになりたい方は、までお問い合わせ下さって結構です。


主日礼拝説教 2015年2月8日 顕現節第6主日
2月8日の聖書日課  マルコ2章1節-12節、ミカ7章14節-20節、第一コリント9章24-27節


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