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〈 10私は自分の願いを何でも満たそうとした。どんな楽しみも心の赴くままに求めた。一生懸命に働き,心には喜びが生まれた。この喜びこそ私が一生懸命に働いて得た報酬だ。 11 私は,自分の手で行った全てのこと,苦労して成し遂げたことを振り返ってみた。すると,全てはむなしく,風を追うようなもので,この地上に本当に価値 のあるものは何もなかった。伝道の書2:10、11〉
続、一号遺跡
承前。この一号遺跡は散歩の途中にあり此処を通らなければ家には帰れない関所のような所でした。十年ほど前にこの遺跡を知りました。当初からこの遺跡の竪穴遺構は馬を飼うための施設、馬小屋の跡ではないかと思っていました。何故ならば、竪穴の四周の壁はまさに馬牧の柵に匹敵するからです。古代から馬牧は山や丘、川などの地形を利用してきました。その足りない部分を柵や土塁などで補っていました。竪穴が馬を飼う施設と知り今度は当時の馬の大きさについても調べてみました。当時の馬は現代のサラブレッド(背高165㎝)とは異なる蒙古馬系の小型の馬(背高130㎝)でした。遺跡の観察の回数も増えてきましたので次にこの遺跡の復元図の作成を試みたくなりました。幸い図書館に遺跡の調査報告書があるのを知り取り寄せて調べてみました。考古学的には良く出来た報告書でしたが遺構についてはあまり参考にはなりませんでした。それでも、遺構の計測の資料があったので参考にしました。幾度も通っているうちに次第に全体のイメージがまとまって来ました。しかし、三点ほどどうしても解けない謎がありました。第一は竪穴と馬の出し入れ。第二は南北の二種類の柱(丸太柱、太鼓落としの角柱)。第三は東西の妻側の真ん中の芯ずれした独立柱の意味などでした。しかし、図面を引いているうちに次第に謎が解けてきました。第一の馬の出し入れはスロープを設ける、でした。第二、第三は少し専門的になって説明し難いのですが、第二の謎は太い丸太の柱は梁を受ける柱、太鼓落としの角柱は軒桁を受ける柱、と柱を二通りに使い分けていたようです。第三の謎は一番難しかったのですが馬の出し入れにはどうしても柱の中心線をずらさなければ馬の出し入れが出来なかった、それで馬の大きさが必要でした。この柱はそのための苦肉の策のようでした、当時の大工は技術的にも未熟で、それに相応しい道具も持ち合わせていませんでした。それ故に彼らなりに考えた解決法でした。図面を引きながら何時しか当時の大工と同じような気持ちになり同じように考えていました、そして考えた末の図を此処に掲げました。
終わりに。調査報告書によるとこの館は中世の町田市全域に渡る激しかった戦乱の業火にも会わず、何故かそのままの形で捨て置かれたようです。その証拠に貴重な財産である天目茶碗や明銭の束が出土していました。また、調査報告書には館の北東の隅に断定は出来ないが火葬跡があったとの記述があります。当時の火葬は高貴な人や豪族、僧侶などに行われていたようです。・・此処から先は私の極めて勝手な想像です。火葬されたのが、館の当主でしたら、その死は予想もしない突然の死だったかも知れません。当主の死後、館は慌ただしさの中に残された財産の始末もなされずに館を閉鎖して残った人々も一斉に去って行ったのかもしれません。谷戸の向かいの尾根にはこの館の当主のものとみられる人の墓が掘り出されました。館の当主は自分の死後もこの館の顛末を見ていたに違いなかったと思っています。了
ところで最近の散歩でまた新たな疑問を見つけました、ひとつの謎を解き明かすと又次の疑問が生じてきます。全ての疑問を解き明かす事は到底無理ですが何処までやれるか自分の寿命との競争ですね。
太鼓落としの柱:丸太の二面を削って角柱にした。 芯ずれ柱:柱間の中心線から外れた独立柱。外観図について:厩舎の屋根は安価で手に入れ易い杉或いは桧の樹皮を葺いています。館は茅葺を想定しました。周囲の建物は倉庫、厠、作業人らの小屋等です。