牧師の週報コラム

アウグスブルグ信仰告白20条と現代(その2)

「アウグスブルグ信仰告白」は教文館から出ている「一致信条集-ルーテル教会信条集」(1982年)の中に収められている。それを学びの時のテキストに用いているが、はっきり言って日本語の文体がわかりにくいところが多く、何度か読み返さないと先に進めないことがよくある。フィンランド語訳を読むとスッと頭に入るのに。それで、学びの時はいつもフィンランド語訳とラテン語原文を脇に置いている。

ChatGPTに「日本語訳はわかりにくい」とコメントしたところ、「それは格調高いから」などと返って来た。何を寝ぼけたことを!大学受験の高校生の英文解釈の答案のような日本語を格調高いなどとは笑止千万(今の高校生の日本語力と英語力は昔よりも向上しているでしょう)。それで、ChatGPTにラテン語の訳を頼むのはやめた。

Lithon社が2015年に出した「アウグスブルク信仰告白」はスッと頭に入る訳である。ところが、それはラテン語版ではなくドイツ語版の訳。両者はいろいろ違いがあり、20条もラテン語版にはあるがドイツ語版にないものがあったりして厄介である。フィンランド語訳の解説に「神学用語の観点からするとラテン語版の方が正確なので優先させるべき」などとあるので、結局は自分で頑張るしかない。

ラテン語能力は、神学部時代の23年前に中級までは行ったが、上級はまさに「アウグスブルグ信仰告白」を独習して、持ち込みなしで試験を受けるというもの。折しもアラム語の授業も受けていて、二つの同時履修は、二人の幼い子供を抱え、妻は仕事という身では無理(他にも履修科目はある)。それで上級は断念(ただ、アラム語がわかるようになったおかげで修士論文と博士論文が書けた)。しかし、まさか今になって上級の知識が必要になるとは夢にも思わなかった。なので、学びの時はフィンランド語訳を基準にしてラテン語文をチラチラ覗いて、これはこれ、と照合するのが精一杯。

20条の日本語訳で私が一番困ったのは、bona operaの訳。教文館のでは「よい行い」。「行い」では広すぎて、礼儀正しいことや心がけが良いことも入ってしまい、20条で言わんとしていることから離れてしまうのでは?英語ではworks、ドイツ語ではWerkenである。仕事みたいに、やるべきこと、達成すべきことなのだ。ドヴォルザークの「新世界」の「遠き山に日は落ちて」の中に「今日のわざをなしおえて」とある、あの「わざ」なのだろう。しかし、日本語で「業」と言ったら、仏教の「業(ごう)」の思考が紛れ込むリスクも。「務め」と言ったら、行き過ぎだろう。Lithon社のでは「行為」と言っている。これだと、「行い」の範囲を狭められるか。でも、まだ何か足りないような気がする。そこで一工夫したのは、bonus「よい」の意味を「神の御心に適う」に定めてしまうこと(私の辞書にbonus「適っている」の意味あり、辞書はラテン語-スウェーデン語)。それで、bona operaは「御心に適う行為」に。そういうわけで、これからは20条をフィンランド語訳に基づいて、ラテン語版をチラチラ覗きながら、教えることにします。

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