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私たちの父なる神と、主イエス・キリストから恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン
2026年5月24日(日)スオミ教会
聖書 使徒言行録2章1~21節
説教題:「聖霊に満たされて」
今日の礼拝はペンテコステを記念する礼拝です。ペンテコステの日、聖霊が爆発的に弟子たちと各地から集まっていた者の上に降ったのであります。
使徒言行録2章1~21節を見ますと、「五旬祭の日が来て一同が一つになって集まっていると突然激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ彼らが座っていた家中に響いた。」五旬祭の日に集まっていたところに出来事が起こった。五旬祭というのは出エジプト記34章22節に「あなたは七週の祭り、すなわち小麦刈りの初穂の祭りを行わなければならない」とあるところから小麦の収穫感謝祭を毎年行っていたのでした。これはイスラエルの三大祭りの一つで過ぎ越しの祭りが終わってから五十日目に当たっていました。これをギリシャ語の第五十という言葉から「ペンテコステ」というようになったようです。この祭りのために多くの敬虔なユダヤ人たちが各地から毎年エルサレムに上京するのが常であったのです。この日「皆の者」が集まっていた。この皆の者とはルカによれば十二弟子よりも更に広い意味で用いられて、1章15節にあるように百二十人程の人々が一つになっていたとあります。
2~4節を見ますと「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こって彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ/\ に現れ一人/\ の上に留まった。すると一同は聖霊に満たされ”霊”が語らせるまゝに他の国々の言葉で話し出した。」ここにはルカの凄まじい聖霊が降った様子がリアルに描かれて表現されています。よく注意して読みますと激しい風が吹いたわけではありません、炎の舌が現れてはいません。激しい風のような音、舌のようなもの炎のようにと表現されています。ともかく、普通にはあり得もしなかった凄まじい出来事が起こっています。五旬祭という多くの人々が一同に集まっているところに一体何が起こったのでしょうか。イエス様の死と復活の後にイエスに従う一同の者たちの上に聖霊が与えられたのであります。聖霊は神の霊であります、またキリストの霊であります。それはキリストを通して神を信ずる者に与えられる神の力として働くのであります。
この聖霊の第一の特徴は一人々自ら神の前に罪びとであると感じさせること。第二には聖霊はイエスが誰であるかを明らかにする。即ちイエスはキリスト、救い主であることを明確に示す。第三には神に従う者を慰め。癒し、弁護し導く、といった働きをするものです。
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パウロはコリント第一の手紙12章3節で「聖霊によらなければ誰も『イエスは主である』とは言えない。」と書いています。さて、4節で聖霊が降ってこの聖霊に満たされるまゝに他の国の言葉で話し出した。それでもう大混乱です。5~7節を見ますと「さて、エレサムには天下のあらゆる国から帰ってきた信心深いユダヤ人が住んでいたがこの物音に大勢の人々が集まってきた。そして誰もが彼らの自分の故郷の言葉が話されているのを聞いてあっけにとられてしまった。」
この光景を目にして群衆は驚き言いました。「見よ!今、話しているこの人たちは皆ガリラヤ人
ではないか。それだのに私たちが各々生まれ故郷の国語を彼らから聞くとは一体どうしたことか。彼らは不思議がった。」ルカは9節から12節のところで地方から来ていた地名を延々と大事な事として書いています。9節「私たちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、またメソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、エレネに接するリビア地方に住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいればユダヤ教への改宗者もいるのに彼らが私たちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。」人々は皆、驚き戸惑い「一体これはどういう事なのか」と互いに言った。
此処に大勢の集まった人々をルカは5節で「天下のあらゆる国から帰って来ていた」と表現しています。当時、ローマ帝国に支配されていた天下のあらゆる国々を東の方の小アジアからローマ、ギリシャ、そして西のエジプトに至る国々の名が記されているのです。群衆の多くはエレサムを中心とするパレスチナ地方以外の国々に滞在していた経験なユダヤ人、また他に数多くの異邦人も加わっていたという事です。ペンテコステに聖霊が降った、そこにこのように各国のユダヤ人そして異邦人がいたと言うことはルカは言い換えますと全世界の人々がやがて自分たちの国語でイエスの福音を聞く日が来ることを象徴していたということであります。
初代のイエス様の弟子たちが一同に聖霊を受けた時、彼らは群衆たちの生まれ故郷の国語でキリストの事を語った。どうしてそのような事が出来たかそれはわからない、聖霊の導きによる神の力がドーンと彼らに臨んだからであります。この事は実際おこったのです、ルカは主イエス様の救いの福音がやがて全世界へと伝えられ広がって行く事を特に望んでいたのであります。そのことは聖霊を受けた時,神を信じる者は他国の人にも分かるようにそして私たちの働きとキリストの福音とを力強く説き明かすことが出来るようになるということであります。弟子たちは計り知れない神の力と聖霊を受けて世界中の人を象徴して集まった民に福音をその国の言葉で語ったのですから、いよいよこれから聖霊の導きと語るべき福音の力を受けて全世界へと遣わされて行く事になります。そのため神様は五十日という準備を弟子たちになさいました。その準備は只管祈ることでした。そして、イエス様は甦って生きて何時でも私たちと共に働いて助けて下さるという確信を持つように強い心の準備をなして下さったのです。
ところが、ペンテコステの出来事が何もかもうまく行くとは限らない。中には必ず人間的な邪魔をする者が現れるのです。13節を見ますと「しかし、あの人たちは新しいぶどう酒に酔っているのだ、と言って嘲る者もいた。」とあります。すると、ペテロは十一人と共に立って声を張り上げ話始めた。「ユダヤの方々、またエレサムに住む全ての人たちに知っていただきたい事があります・・・・。」ペテロの説教の目的はナザレ人イエスはキリストつまり救い主メシアである事を証明することでした。この事の証明のために説教の半分近くを旧約聖書を引用して話しています。まず、ペテロは語ります。神様がイエス様を通してあなた方の中で行われた数々の力ある業と奇跡と記しとによりイエス様は神から遣わされた方であること、更にこのイエス様を律法学者や祭司長たちによって十字架の処刑で殺してしまった。しかし、神はこのイエスを死から解放し甦らせたこと。イエス様の死と復活の出来事を確証するためペテロは旧約聖書の詩編16編を引用し、またヨエル書も引用してこのことが既にイスラエルの歴史の中で預言されていたこと。その予言通り救い主としてイエスに預言は成就したのである。パウロ自身はその目撃者であること。
更にペテロは25節から角度を変えてユダヤ人の最も尊敬していたダビデ王とを比較して立証してゆきます。ダビデは預言者であってダビデの墓もある。イエスは神から復活させられた救い主メシアであられるのだ。この「キリスト・メシアによる福音」こそがペンテコステの日に起こったキリスト教の誕生となっていったのです。
今日、世界は戦争と経済不安の中に揺れ動いています。その背景にイスラエルのユダヤ教、イランを始めとするイスラム教、ヨーロッパ北欧諸国とアメリカのキリスト教、これらの戦いです。ユダヤ教とイスラム教、その他日本の仏教などがイエス様は預言者にすぎないメシアではないとイエス様を救い主とは信じません。キリスト教会はイエス様こそ十字架に死に甦って生きて働き給う真の救い主という、この福音が決定的に違う、キリスト教会の土台、基本の教えの中心であります。
ペテロは命を懸けて神の真実を証しして叫ぶのであります。36節で叫びます。「だから、イスラエルの全家はこの事をしかと知っておくがよい、あなた方が十字架につけた、このイエスを神は主、またキリストとしてお立てになったのである。」このイエスはヨエルや他の預言者たちが預言したところの主でありキリストであった。今もなお聖霊の働きがあるということはこのキリストの復活の力の何よりの証拠ということです。ペンテコステの出来事はこの時だけで終わってしまったわけではない。それは今でも続いている。同じ聖霊の力によって、同じ福音の伝達によって多くの人は神の支配のもとに一つの所に集められているのです。この日本の地に於いても長い時間と年月を超えて聖霊は働いて下さり神のみ業がなされているのであります。第二イザヤと言われている預言者がイザヤ書43章19節で預言しています。「見よ新しいことを私は行う。今やそれは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。私は荒野に道を敷き砂漠に大河を流れさせる。野の獣、山犬や駝鳥も私を崇める。荒野に水を、砂漠に大河を流れさせ私の選んだ民に水を飲ませるからだ。私はこの民を私のために造った。彼らは私の栄誉を語らなければならない。」そして、更に44章2~3節で預言しています。「恐れるな、私の僕ヤコブよ、私の選んだエシュルンよ、私は乾いた地に水を注ぎあなたの子孫に私の霊を注ぎあなたの末に私の祝福を与える。」43章19節で「見よ、新しいことを神がなさる」というのはどういう意味か。この第二イザヤの預言は直接的にはイザヤ時代バビロンに囚われの身であったイスラエルの民を祖国イスラエルに帰すという新しい大きな業を起こすと言っているのです。44章3節の「あなたの子孫に私の霊を注ぐ。」神は人類の歴史の中で聖霊が新しい大きな業をおこして行かれるのであります。
人知ではとうてい測り知ることのできない、神の平安があなた方の心と、思いとをキリスト・イエスにあって守るように。 アーメン