3月の料理クラブの報告

料理クラブはいつもお祈りをしてスタートします。最初は生地作りです。材料を測って順番にボールに入れて小麦粉を加えます。よく捏ねてから柔らかくしたマーガリンを入れて、またよく捏ねて生地は出来上がりです。暖かい場所において一回目の発酵をさせます。

発酵させている間に中身を作ります。ひき肉を炒めて味付けをして冷まします。最後にすりおろしたチーズを加えると「美味しそう」との声が聞こえてきます。生地が大きく膨らんだのでLihapiirakkaの形作りをします。生地を伸ばして丸い型を抜き、生地の上に中身をのせて閉じていきます。

lihapiirakka

皆さん、一生懸命にLihapiirakkaの形を作って鉄板にどんどん並べていきます。Lihapiirakkaの列が沢山できました。それをオーブンに入れて焼きます。しばらくすると美味しそうな香りが漂ってきました。味わうのが待ち遠しくなります。焼き上がったLihapiirakkaは、最後に溶かしたマーガリンを塗って出来上がりです。

お皿にサラダをきれいに盛りつけてピックルスを添えて焼きたてのLihapiirakkaを味わいました。たちまち、「美味しい!」「美味しい!」と嬉しそうな声があがりました。今回も楽しい歓談の時を持ちました。今キリスト教会は復活祭の前の受難節の季節なのでその過ごし方やお祈りについてお話を聞きました。

lihapiirakka

今回の料理クラブも無事に終えることができ、天の神さまに感謝です。次回の料理クラブは4月18日に予定しています(ご注意 4月は月の第三土曜日になります)。詳しい案内は教会のホームページをご覧ください。皆さんのご参加をお待ちしています。

 

料理クラブのお話2026年3月Lihapiirakka

lihapiirakka今日はフィンランドの伝統的なLihapiirakkaを作りました。Lihapiirakkaには様々な種類があり、パイ生地で作る大きいものや小さいもの、そして今日みたいなパン生地で作るものもあります。今日作ったパン生地のLihapiirakka はロシアからフィンランド全国に広がり、1950年頃ファーストフードとしてキオスクでも販売されるようになりました。油で揚げて作るのは伝統的ですが、最近では少し健康的なバージョンとしてオーブンで焼くことも多くなっています。今日もそのタイプのものを作りました。Lihapiirakka はハイキングやお花見など出かける時のお伴にもぴったりで、これからの季節にちょうどよい軽食の一品ではないでしょうか。

今フィンランドでは季節が春に向かて進んでいます。雪が溶けて地面はぐちゃぐちゃで木はまだ枯れているように見えますが、フィンランドの人々はもうすぐ春の花が美しく咲くことを楽しみにしています。この季節になると、フィンランドのカレンダーでは「受難節」という期間に入ります。これはイスター・復活祭に向けた準備の期間です。フィンランド語では、この期間は「断食の期間」と呼ばれます。これは、昔カトリック教会の時代の言い方が今でも残っていることを意味します。もちろんフィンランド人はこの期間に断食をしませんが、それでも普段の食事にちょっと変化をつけることがあります。例えば、肉があまり入ってない料理を食べるとか、甘いお菓子を控えたりすることがあります。このように受難節を通して人々は自分の生活や時間の使い方を見直すことをするのです。しかし、受難節にはもっと深い意味があります。

それは、イースター・復活祭の前の40日の間、イエス様が十字架につけられた苦難を覚えて心の中で思いめぐらす期間であるということです。この期間にイエス様が歩んだ苦難の道について聖書の教えを読んだり聞いたりしながら、心を静めて天の神様にお祈りすることも多くなります。クリスチャンはお祈りする時イエス様がそばにいて聞いて下さることを知っています。

しかし天の神さまにするお祈りとはどのようなものでしょうか?

キリスト教で祈りとは心の中で天の神さまとお話しすることです。聖書の中には決まった形の祈りも教えられていますが、もちろん自分の言葉でお祈りしていいのです。祈りの中で私たちは天の神さまに感謝の言葉を述べたり、困った時に助けをお願いしたりするからです。

2006-09-21 by MMBOX PRODUCTION christiancliparts.net
2006-09-21 by MMBOX PRODUCTION christiancliparts.net

新約聖書の「マルコによる福音書」にはバルティマイという盲人の人のお祈りの話があります。それを紹介したいと思います。これはイエス様が弟子たちと一緒にエリコという町に来て、それから出発しようとした時に起こりました。道端には盲人のバルティマイが座っていました。バルティマイはイエス様がそこを通りかかると聞いて、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください。」と叫んで祈りました。多くの人たちは彼を黙らせようとしましたが、彼はもっと大きな声で「ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。」と祈りました。その時イエス様はどうされたでしょうか。祈りを聞かずに通り過ぎてしまったでしょうか。いいえ、そうではありませんでした。イエス様は立ち止まってバルティマイを呼び寄せて「何をしてほしいのか」とお聞きになりました。盲人は「先生、目が見えるようになりたいのです」と答えました。イエス様は「行きなさい、あなたの信仰があなたを救った」と言われました。すると、盲人は見えるようになり、イエス様に従っていきました。

私たちはこの盲人の男性と同じような希望がない状態になることがあるかもしれません。このような時、私たちはどうしたら良いでしょうか。そのような時は、私たちもこの盲人と同じようにイエス様にお祈りすることができます。イエス様は私たちのお祈りも聞いて下さり、私たちのところに立ち止まって、尋ねてくださいます。「何をしてほしいのか。」イエス様が私たちが必要なことが全てご存じですが、尋ねることで私が勇気をもって願いや必要なことを自分の言葉で言うようにするのです。

私たちも願うこと困ったことや悩みがいろいろあります。それらをお祈りを通してイエス様に伝えることは、その全てをイエス様の御手に委ねることになります。すぐにお祈りした通りになるかどうかは分かりませんが、イエス様は必ず聞いてくださいます。そして祈ったことの結果や時間はいつもイエス様が決めて下さいます。そのようにイエス様を信頼することができると、私たちの心は軽くなり、静かな平安に満たされます。

このように受難節はイエス様の苦難を心の中で思いめぐらすことと彼を信頼して祈ることを通して心を静めて平安を得る期間です。皆さんの心も静かな平安に満たされますように。

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