説教「イエスと共に」Martti Poukka牧師、マルコによる福音書11章1−11 節

礼拝の締め括りにフインランド賛美歌15番を演奏してくださいました。

今年の2月16日から24日まで、イスラエルに旅行しました。とても面白かったです。色々な聖書の場所を見ましたし、良い歴史についての話を聞きましたし、美しい景 色を見ながらバスにも乗りました。そして、ナザレに行った時、生きているろばを見ました。もちろんたくさん写真をとりました、そして、このろばの親のの親 の親の事を考え始めました。今でもある地域では、ろばは色々な農家の仕事をやっています。体が強い動物だからです。昔もそうでした。でも、ある昔の 子ろばは、とても大切な仕事をするために選ばれました。それは、イエスのための仕事でした。

今日の聖書の箇所を読みましょう。

初めに

1.一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、

2. 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。

3。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」

このみことばは神様のご計画を表しています。神は長い時間をかけて、人類が救い主を迎えるように、準備されました。そして、ついに時が満ち、神はその独り子を世の救い主としてお送りになりました。四福音書はその救い主の生涯と御業とのよい音信を伝えています。

「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラテヤ4:4)。

聖書の箇所に戻りましょう。

4.二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。

5。すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。

6。二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。

子ろばはイエスに大切な仕事をもらいました。それは、ろばの力で、イエスを運ぶ仕事です。

次に

8.多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。

9.そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。

多分人々は.預言者の言葉を思い出しました。ゼカリヤ書/ 09章09節
娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者/高ぶることなく、ろばに乗って来る/雌ろばの子であるろばに乗って。

イエスと子ろばの事は、昔から預言されていたことです。

イエスとろばは、やっとエルサレムに到着しました。

11。こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

イエスは、神様のご計画に従って、神殿の境内を見た後、また旅をつづけました。神様の計画による仕事がまだまだ残っていたからです。

子ろばは、イエスに大切な仕事を頂きました。私達人間もそうです。

マタイによる福音書/ 28章18節

イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。

19。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、

20。あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」

こ れは、弟子達が聞いた言葉でしたが、私達にとっても大切な御言葉です。イエスは、私達の仕事も必要として下さいます。その仕事は、子ろばにとっては足と力 でした。私達にも、色々な賜物(タレント)があります。それは、神様に頂いた賜物(タレント)です。そして、それは福音のために使うべきものです。

このような教えが書いてあります。

「奉仕への贖い」

神がその恩恵によって、私たちの罪を赦してくださったために、私たちの内に感謝と愛と信仰による服従心が生まれ、神と隣人とに奉仕するようになります。キリスト者の全生涯は奉仕の生涯であり、このような奉仕の生涯を私たちはキリスト教倫理と呼びます。

「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです」(第一ヨハネ4:19)。

「なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、 すべての人も死んだことになります。その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きる のではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです」(第二コリント5:14-15)。

「互いに重荷を担いなさい。そのようにしてこそ、キリストの律法を全うすることになるのです」(ガラテヤ6:2)。

「信仰は、活発で、勤勉な、力強いものですので、絶えず善い業をしないでいることは不可能です」(マルティン・ルター)。

キリスト者の人生には、目的がありますし、希望もあります。それは、イエスの十字架による永遠の命の希望です。

この希望について、このような教えが書いてあります。

キリスト者の希望

時代の混乱の最中にあって、キリスト教会は神の国が栄光の中に現れる栄光の日を、神の御約束を信じて待ち望んでいます。その時に神は全てにおいて全てとなられるのです。

「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、私たちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え」(第一ペテロ1:3)。

「このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ」(ルカ21:28)。

私達も、子ろばのように、希望を持って、イエスと共に教会のために働きましょう。

祈りましょう

天の父なる神様。子ろばは、あなたの御子イエスと共に働きました。これは、あなたの計画の通りだったのです。あなたは、人間を救う計画を作ってくださいまし た。私たち弱い人間は、あなたの知恵と力は理解できませんが、私たちを助けてください。あなたは人間ではなく、私たちの考えを超える神様でいらっしゃいま す。ですから、全部の約束も守ってくださいます。

聖書を読んで、イエスが復活されたということが分かります。これは私たちの一番大きな喜 びの元です。あなたはイエスを私たち人間の救いのために、罪の赦しのために送ってくださいました。そして、私たちの本国の天への道も教えてくださいまし た。それは私たちの人生の目的です。どうか私たちに天国への道を見せてください。

今日もあなたの教えを聞けるように導いてください。私た ちは信仰によってあなたの子どもです。私たちは恵みによって救われます。どうか、私たちがあなたの父なる神様のみ守りに信頼できるように私たちを強めてく ださい。イエスと共に人生の道を歩めますように。私たち一人一人にあなたからの使命を教えてください。子ろばは、足と力をもって働きました。私たちがあな たの子どもとして出来る社会的な義務や御国のためにできる仕事を教えてください。福音や神の招き、復活の喜びをどうすれば世界へ伝えることができるのか、 私たち一人一人に教えてください。また、あなたに与えられた力によって子どもと隣人を大切に出来るように、互いに支え合うことが出

来るように私たちの愛を主イエスキリストによって強めてください。心の中にあなたの光を照らすことができますように。この祈りを主イエスキリストのみ名によってお祈りいたします。アーメン


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