説教:田中良浩 牧師

2 7月30日(聖霊降臨後第8主日) 於 スオミ教会

聖書日課 イザヤ402631、ローマ7:1525、マタイ⒒:2530

田中 良浩

説教 「キリストの招き」

父なる神さまとみ子主イエス・キリストからの恵みと平安あれ!

 

序 人には誰でも、例外なくそれぞれ信仰をもつに至った契機となる出来事やまた先輩クリスチャンとの出会いがある。また同時にそのような機会に深く関心を寄せるようになった聖書の箇所や言葉がある。

私も、ここ数年夏には吉村先生ご家族のフィンランド帰国の機会に、スオミ教会の皆様と共に礼拝する機会が与えられていることは、感謝である。

このような機会に私の説教だけではなく、さらに礼拝後のお茶の機会にでも皆様のクリスチャンとの出会いや、信仰生活のみ言葉の体験をお聞きしたいと思っている。

 

 

1さて、今日の福音書の日課は、私にとってもまさに「キリストの招き」に

与るものであった。そういう意味で、今朝は私の「信仰への道程」をお話ししたいと思っている。

 

私が最初に聖書に出会ったのが、このマタイ11章からの言葉であった。

それは「汝ら、何を眺めんとて野に出でし、風にそよぐ葦なるか」(文語訳)。

これを大岡昇平著「俘虜記」から読んだのである。第二次世界大戦のさ中に大岡昇平が従軍記者として派遣され、その部隊はフィリピンで全滅した。

彼は二三人の敗残兵と、密林を彷徨い歩き、ついに捕虜になったのである。

その一つの章に「タクロバンの雨」がある。その見出しに添えてあったのが

「汝ら、何を眺めんとて野に出でし、風にそよぐ葦なるか」という言葉であった。これはマタイ11章7節の言葉である。私にとっては、まだ聖書も、教会も何も知らない時に出会った。聖書の最初の言葉である。

そしてこの言葉が、私の人生を決定づける聖書の言葉にもなった。

 

私は1944年(昭和19年)に旧制中学校へ入学した。第二次世界大戦の

まっ只中であった。入学式の日、中学校へ行くと学校の左側の門には、「島根県立大田中学校」と書いた表札があった。けれども右側の門には「広島陸軍病院大田分院」と書かれた表札もあった。そういう戦時という時代であった。

当然学校へは行っても、勉強どころではなかった。ほんの少しは申し訳程度

に授業はあったが、殆どが学業ではなく、労働であった。

校庭を掘り返して、畑にしてサツマイモを植えた。収穫してそれを美味しく食べた、という想い出はない。どうしてであろう?そういう時代であった。

私たちの上級生たちは通年動員といって、年から年中、軍関係の工場の働きに動員されていた。私たちの中学校は田舎にあったが、例外ではなかった。

私たちは、人手の少なくなった、つまり働ける男の人は皆、徴兵されて軍隊に入り、戦地に送られていた。そこで田畑でお米や麦を作ったり農作業を

する働き人は高齢者と女の人だけになっていた。その為に私たち中学生までも、農作業のために、集団で送り込まれていた。

 

また私たちは本土決戦のために陣地工築にも駆り出され、山に穴を掘ったり、大きな材木を担がされたりした。当時は学校でも、動員先でも、毎朝朝礼があり、天皇陛下の御真影に敬礼、また宮城遥拝が行われた。

学生生活は「お国のために」の一点に集約されていたし、「神州不滅」は軍国日本のスローがんであった。もちろん英語は敵性語であるという理由で授業はなかった。田舎にいた私たちが英語の教科書に接したのは中学3年生になってからのことであった。

 

私たちの中学校が「広島陸軍病院大田分院」と掲げられていたので、戦時中 

は、いわゆる、戦地で傷を受けたり、病気になった兵隊さんが私たちの学校

の教室に収容されていた。こうした状況は敗戦まで続いた。

昭和20年8月15日、敗戦を迎えた。夏休みであった。

その数日後、学校に呼び出された。

傷病兵は当然学校から去って行った。けれども私たちの学校には原子爆弾で

被爆した兵士たちが広島から貨物列車に詰め込まれて私たちの学校に来た。

被爆した兵士たちが教室、理科実験室、音楽室、また教室とうに収容されて、

部屋のない兵士たちは、渡り廊下にスノコと蓆を敷いて、寝かされた。

このような悲惨な状態は数か月続いた。それはまさに地獄絵図であった。

私はこれが戦争そのものの実態だと、思い知らされました。

 

個人的にはその数年後、私の小学校一年生の弟が病気で亡くなりました。

私の中・高生時代は、まさに死に取り囲まれていました。

こうした暗黒の“青春時代”に私はこの言葉に出会ったのである。

 

その後“葦”について、事ある毎に私は思い出し、あれこれ考えさせられた。

今でもそうである。葦は、私にとってはまさに取りつかれた言葉である。

 

日本の国は「豊葦原の国」(日本書紀)と呼ばれた。それだけ古代から日本の国全体には、いたるところに葦が繁っていた。この植物は平安時代まで葦と

呼ばれたが葦は“悪し”に通じるということから“良し”を表す籚・葦が用いられるようになった。これは本当に興味ある日本的表現である!

葦は、古くからすだれやよしずの材料として使われた。また茅葺屋根も。

西洋では有名なパンフルートという楽器も、この葦から作られている。

 

さらに、哲学的、いやむしろ聖書的な偉大な表現がある!

Bパスカルの「パンセ」には、「人間は、自然のうちで最も弱い、一本の葦に過ぎない。しかしそれは考える葦である」(347)との有名な言葉がある。

ご存知の通り、この言葉を起点にして、パスカルは「考えることの大切さ」から「信じることの大切さ」へと展開していくのである。

私にとって、このマタイ11章は、葦という言葉をきっかけにして、重要な聖書を読み解く箇所になったのである。

 

旧約聖書でも葦という言葉は多く用いられているが、有名なものは:-

  • エジプトを出た神の民イスラエルは、モーセによって紅海を渡るが

この紅海は、聖書では“葦の海”と呼ばれている。(出15:4)

詩編では、「感謝せよ。慈しみはとこしえに。力強い手と腕を伸ばして導き出した方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。葦の海を二つに分けた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」(詩編136:12~13)

 

  • 預言者イザヤの言葉(42:3~4)

「傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、裁きを導き出して、確かなものとする。暗くなることも、傷つき果てることもない、この地に裁きを置くときまでは。島々は彼の教えを待ち望む。

 

 

さて、聖書の物語としては、「洗礼者ヨハネ」の物語である。

主の先駆者で会ったヨハネは捉えられて牢屋にいた。そこで彼は弟子たちを遣わして、主イエス・キリストに聞かせたのである。

「来るべき方(救い主)はあなたでしょうか。それとも、ほかに待つべきでしょうか」(11:2)と。

主イエスは弟子たちにはっきりお答えになった。(11:4~6)

「行って、見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。 わたしにつまずかない人は幸いである。」と。

 

ルカにはこのように記されている(4:17~19)

「預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」

<イザヤの預言の成就である!>

 

 

こうしてマタイ11章の最後の部分が、今日の福音書の日課なのである。

2 今日の福音書日課の前半部分(11章25~27)は:

  1.  「主の祈り」に続く主イエスが父である神に祈られた、祈りである。

第一に「天地の主である父への讃美である」

ここには明らかに主イエスの言葉には、父は天地の創造者、支配者であるという理解がある。つまり、創造者である神は、被造物にすべてに責任をお持ちになる父である。日ごとに守り、導いてくださるのである。

人間であれば、作ったモノに、無責任な態度をとることがあるであろう。

けれども天地の創造者である父には、そのような無責任さはない!

恵みと愛をそそいで、守り、導いてくださるのである。

その父なる神への讃美である!

 

  1.  第二は、「神の恵みの真理が賢い者には隠されて、幼子のような者ni

お示しになられた」ということである。

主イエスご自身繰り返して、お語りになっている。(マタイ19:13)

「しかし、イエスは言われた。「子供たちを来させなさい。わたしのところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」と。

これは共観福音書マルコ10:13~16、ルカ18:15~18にも

共通に記されている。

これは同時に使徒パウロによってⅠコリント1:18節以降においても強調されている。

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。それは、こう書いてあるからです。「わたしは知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを意味のないものにする。」

知恵のある人はどこにいる。学者はどこにいる。この世の論客はどこにいる。神は世の知恵を愚かなものにされたではないか。世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。それは神の知恵にかなっています。そこで神は、宣教という愚かな手段によって信じる者を救おうと、お考えになったのです。

ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵を探しますが、わたしたちは

十字架につけられたキリストを宣べ伝えています。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシア人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。」と。

 

 

3 今日の福音書日課の後半部分(11章28~30):

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」

 

このみ言葉は誰にでもよくわかる招きの言葉である。多くの教会の掲示板にこのみ言葉は掲示されている。私も稔台教会でも、熊本教会でも掲げていた。

 

すべての疲れた者、重荷を負う者に呼びかけられている招きの言葉である。

 

旧約聖書イザヤ40:29~31)でイザヤは語っている。

「疲れた者に力を与え、勢いを失っている者に大きな力を与えられる。

若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが、主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」と。

 

  • 人知では、とうてい測り知ることのできない神の平安が、信仰からくる

あらゆる喜びと平安をあなたがたに満たしてくださるように!アーメン。

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