1月のフィンランド家庭料理クラブの報告

2016年最初の家庭料理クラブは「サーモンスープ」とサーモンスープ、フィンランドサンピュラを作りました。

フィンランドでは-20℃や-30℃の世界と聞きましたが、
東京も木枯らしが吹いた寒い土曜日の午後、
柔らかな日差しが入る牧師館では、
2016年最初の料理クラブでした。

最初にお祈りをして料理クラブはスタートです。

今回は、スープと一緒に焼き立てパンも用意するため、
フィンランド式のパン作りにも挑戦していただきました。

グループに分かれて、材料の計量に、生地を捏ね、発酵へ、

次は、サーモンの扱い方や、大量のジャガイモの皮むき、野菜類のカットなど作業がスムーズサーモンスープ、フィンランドに進み、大型の鍋からは、スープの湯気がたち、パンの焼き上がるのが待たれました。

スープが盛られ、焼きたての熱々パンは、ステンレスのクーラーに載せたままテーブルに、
食前の祈りをあげて、試食会は始まりました。
サーモンスープの味わいと、アツアツの焼き立てパンの相性は抜群で、
大鍋につくったサーモンスープは、きれいに完食となりました。

コーヒーを飲みながら、パイヴィ先生から、フィンランドの魚事情や、聖書の中の魚にまつわるお話を聞かせて頂きました。

参加の皆さま、お疲れさまでした。

 

 

フインランド家庭料理クラブに出席して。

 今日のフインランド家庭料理クラブは大好物の”サーモンスープ”を作ると言うことで家内ともども出かけました、熱々のスープを頂きながら満ち足りたひと時でした。食後のコーヒータイムにパイヴィ先生からフインランド人と魚についての面白い話を聞きましたのでご紹介します。

”料理教室の話2016年1月16日

フィンランドは湖や川がたくさんある国です。湖や川の魚の種類は多く、魚釣りが好きな人も多いです。昔、魚釣りは趣味ではなく、食料を得るための仕事でした。それで、魚釣りはどの家庭でも行われ、魚は毎日の食事のおかずでした。

時代は変わって、魚釣りは毎日の仕事ではなく、魚は店で買われるようになりました。その頃から海でとれるいわしが食べられるようになりました。いわしは沢山とれたので安い魚でした。冷蔵庫がまだない時代には、秋になると家庭でいわしを沢山買って、塩づけにして保存して、冬中ずっと食べられていました。子供の頃、私の家にもこのようにいわしを塩づけにして保存して、長い間いわしを食べました。残念ですが、現在いわしを食べるフィンランド人は少なくなり、一年に一人当たり300gだけ食べると言われています。最近トゥルクやヘルシンキでは秋になるといわしの市場(いちば)が開かれるようになって、そこではいわしだけでなく他の魚で作った料理や保存食も売っています。このいわし市(いち)は、冬に向かうフィンランドの秋の大きなイベントになって、沢山の人が訪れます。

現在フィンランド人は魚より肉をよく食べるようになったために、国の保健機関は、一週間の食事のうち魚を2食を食べることは健康のために良いと、国民に呼びかけています。最近、若者は魚の料理は好きではないようですが、年配の人たちはまだ魚をよく食べます。

今フィンランドでどんな魚が食べられるでしょうか?よく食べられるのは、湖や川でとられる白身の魚です。海の魚ではいわしとニシンとサーモンで、一番よく食べられるのはサーモンです。サーモンはフィンランドで養殖したものか、ノルウェーの海で捕ったものか、どちらかです。昔は高価なサーモンの料理は、クリスマスのようなお祝いの時にしか食べられませんでしたが、今は普段の日にもよく食べられるようになりました。サーモンを使った料理のなかで、今日のサーモンスープは伝統的なものですが、オーブンやフライパンで焼いたり、スモークサーモンにしたり、生のものを塩漬けにして食べます。

私は、日本のお店で売っている魚を見て、種類の多さにびっくりします。フィンランドの普通のお店で生で売っている魚の種類は少なく、いわしとサーモンとあと何か白身の魚が1種類あるだけです。日本の方がフィンランドに旅行すると、きっとびっくりするでしょう。

さて、聖書の時代にも魚はよく食べられていて、漁師の職業は普通でした。これから聖書の中にある漁師についてお話ししたと思います。ある日イエス様がゲネサレト湖という湖にやってくると、2人の漁師が舟からおりて、網を洗っているのを見かけました。そのとき、大勢の群衆がイエス様の教えを聞こうとして、彼の周りに集まって来ました。イエス様は漁師のシモン・ペテロの舟に乗って、少し岸から離れた場所まで行って、そこから岸辺にいる群衆に向かって神様のことについて教えました。

話し終えてから、イエス様はシモン・ペテロに「舟を少し冲に漕いで、そこで網を下ろしてみなさい」と言われました。シモン・ペテロは、「先生、私は夜中苦労しましたが、何も獲れませんでした。しかしお言葉ですから、網を下ろしてみましょう」と答えました。シモン・ペテロは漁師なので魚のことはよく知っていました。もし夜魚が獲れなかったら、昼はもっと獲れない、とシモン・ペテロは思ったでしょう。それでもシモン・ペテロは、神様についてのイエス様の教えをいつも聞いて、イエス様のことを尊敬していたので、言われた通りにしました。するとどうでしょう。信じられないことが起こりました。網が破れそうになるくらいに大量の魚がかかって、その重さで二そうの舟は沈みそうになりました。シモン・ペテロはこれを見て、どう思ったでしょうか?彼はイエス様の足元にひれ伏して、こう言ったのです。「主よ、私から離れてください。私は罪深いものです。」シモン・ペテロはイエス様にお礼を言いませんでした。どうしてでしょうか?この時シモン・ペテロは、今起こったことは神様の力で起きたと信じたのです。そして、イエス様は神聖な神のみ子でいらっしゃること、その方の前では自分は罪深いものなのだ、ということを理解したのです。それでシモン・ペテロは、「私は罪深いものなので、どうか私から離れてください」と言ったのです。しかし、イエス様はシモン・ペテロから離れないで、次のように言われました。「恐れることはない。これからは、あなたは人間をとる漁師になる。」そこでシモン・ペテロは舟を陸に引き上げて、すべて捨ててイエス様に従いました。こうしてペテロはイエス様の弟子の一人になったのです。

シモン・ペテロはイエス様に出会って、すべてを捨ててイエス様に従いました。私たちもイエス様と出会うことができます。それは、聖書のみ言葉を読んだり聞いたりするとこにできるのです。聖書のみ言葉を読んだり聞いたりすると、私たちが神様のみ前では罪深いものであることがわかります。しかし、まさに罪深い人間を救うためにイエス様は十字架にかけられて、そこで死なれて、三日目に死から復活させられて、天に昇られたのです。神様は、イエス様の十字架の出来事のゆえに、罪深い人間を赦して下さいます。ここに神様の人間に対する愛が溢れています。イエス様は私たち一人一人を愛して下さり、ご自分に従うように、と呼んでくださいます。イエス様は、シモン・ペテロから離れなかったように、私たちからも離れられません。マタイによる福音書の終わりにイエス様が言われた次のような約束の言葉があります。「私は世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」このような約束をされたイエス様は、今年も毎日、一人一人と共にいてくださいます。このことを忘れず、感謝して歩んでいきましょう。”

 

12/12のフィンランド家庭料理クラブの報告

穏やかな冬の日が差し込む牧師館で、今年最後の「家庭料理クラブ」を開きました。

ケーキ、フィンランド最初にお祈りをしてスタートです、
今回はクリスマスの食卓を彩る「ターテリカック」を作りました。

煮込んだ干しナツメヤシ(デェーツ)をたっぷり入れたターテリカックは、
黒い焼き上がりと、しっとりした生地の味わい深いケーキです。

焼き上がりのケーキにナイフを入れると、湯気と香ばしい香りに、ターテリカック、フィンランド、ケーキ歓声が上がり、
試食会は、グロッギと軽いスナックを添えてピックヨウルになりました。

パイヴィ先生からは、
フィンランドのクリスマスの特色の一つ、
クリスマスイヴにトゥルク市の広場で、中世から続いている、「クリスマスの平和宣言
」が正午に発せられ、
店やレストランは閉まり、国中が静まり、イヴとクリスマスは多くの人々が家族と過ごし、
静かな平和な雰囲気に包まれる、そんなお話を聞かせて頂きました。

 

今年も「スオミ家庭料理クラブ」に、多くの方にご参加いただけた事、感謝しています。
2016年も美味しいフィンランドを紹介していきたいと思います。

Hyvää Joulua!
皆さま、よいクリスマスをお迎え下さい。

西尾 ひろ子

11月18日の手芸クラブの報告

ヒッメリ手芸クラブは、月1回開かれています。
11月の第3水曜日、晩秋のわりには暖かい午前の時間に手芸クラブが開かれました。参加者の皆さんは作品を作るのを楽しみにしていたそうです。

ヒッメリ手芸クラブは最初にお祈りをして始めます。今回はフィンランドの伝統的な飾り物「ヒンメリ」を作ります。
はじめに作品のモデルを見せると、皆さん、「かわいい」と言いながら作り方の説明を聞きました。ヒンメリは普通わらで作りますが、手に入らないため、今回は赤色のストローで作ります。ストローは初めに合う長さにカットしたものを準備したので、作り始めは楽でした。ヒッメリ針に糸を通し、三本のストローを糸で結んで三角形を作ります。その一辺をもとに二本のストローを糸で結んで別の三角形を作り、それを繰り返していきます。短いストローでも同じように三角形を繰り返して作っていき、最後に大小のヒンメリを糸で結んで完成です。

各自が作ったヒンメリを棒にかけて、素敵なクリスマスの飾り物ができたと皆さん感激していました。ヒッメリ

最後にコーヒーと聖書のお話しになりました。聖書の箇所は旧約聖書の「列王記上」の17章8節から15節まで。預言者エリアが訪問した貧しいやもめの家でわずかな食べ物だけでずっと大丈夫だったという奇跡の話です。

ヒッメリ「私は、この旧約聖書の話をいつも不思議に思いました。これは、神様が私たち人間にできないことを起こされる奇跡です。神様はこの奇跡をどうして起こしたのでしょうか?神様はこの奇跡を通して、どれだけ人間を愛して下さっているか、見守っていて下さっているかを示そうとしたのだと思います。神様はいつの時代の人々も現在の私たちのことも全てご存じで、私たちを守ってくださいます。神様の愛はイエス様の十字架の出来事に一番よくあらわれています。神様の人間に対する愛というのは、「壺の粉は尽きることなく、瓶の油は無くならない」と言うように、いつまでも続くことです。このため私たちは思い悩む必要はありません。神様は約束されたようにいつも私たちを守ってくださいます。このことを天と地と人間を造られた神様に感謝して毎日の生活を続けましょう。」

次回の手芸クラブは来年の1月です。詳しくは、ホームページの案内をご覧ください。

 

11月14日フィンランド家庭料理クラブの報告

カルヤランピーラッカ冷たい雨が降る寒い土曜日の午後、
家庭料理クラブはカルヤランピーラッカを作りました。

お祈りの後、
レシピの説明です、
今回は、ミルク粥とじゃがいものムースカルヤランピーラッカを作るの2種類。

ライ麦粉と小麦粉を使った生地作りからスタートです、薄く薄く伸ばした生地は、高く重なって行きました。
次はミルク粥とじゃがいものムースを包みます。
刷毛で余分な打ち粉を払い、
苦心しながらも、キレイなピーラッカが鉄板に並びました。

焼き上がりにバターを塗り、美味しく完食しました。

パイビ先生からは、心に響くお話も聞かせて頂きました。

ご参加の皆様、お疲れ様でした。

次回は12月12日を予定しています。
カルヤランピーラッカ

 

聖書研究会:木村長政 名誉牧師

今日の聖書研究会は黙示録19章を学びました。19,20章は神様のみ業が成就する様子が描かれている箇所であると先生が述べられました。10節にある「イエスの証は預言の霊なのだ」について吉村先生とH姉から含蓄ある解説をいただきました。

 

10月の手芸クラブの報告

10月の第三火曜日、秋のさわやかな陽気の中で手芸クラブを開きました。今回は人数も多くて、明るく賑やかな雰囲気になりました。手芸クラブは、最初にお祈りをして始めます。

今回の作品は、フェルトのコロコロビーズのネックレスフェルトのコロコロビーズのネックレス。はじめに作品のモデルを見て、各自作ってみたいフェルトの色を選びました。色は沢山あるので選ぶのはなかなか簡単ではありませんでしたが、やっと五色のフェルトを選び、それから作り始めました。

フェルトをエアクッション・シートの上に薄く置いて、少し石鹸が入っている水でぬらしてからエアクッションの中でコロコロまるめます。それが終わると今度はフェルトの色を変えてまた同じことを繰り返します。これを何回かやって、フェルトが固い棒みたいになります。

フェルトのコロコロビーズのネックレス次は今回の作業の中で一番ワクワクさせるところです。まず、フェルトの棒をカッターで切ります。すると、きれいな色の中身が出てきます。切ったビーズの真ん中に穴をあけて糸を通します。一人一人違う色のフェルトのビーズを作って、素敵なネックレスの出来上がりです。

ビーズができた後で、聖書のルカ福音書10章38-42節の読み聞かせがありました。マルタとマリアの姉妹についての話です。朗読の後、パイヴィ宣パイヴィ・ヨシムラ教師から、次のようなお話がありました。「料理とか、もてなしとか、生活のための必要なものは私たちにとって大事ですが、私たちの人生にとって一番大切なことはそれらではありません。私たちの人生にとって最も大切なことは、天と地と人間を造られた神様についてイエス様が教えたことです。イエス様の教えから、神様の計り知れない愛を知ることができます。イエス様が『マリアは良い方を選んだ』と言われたのは、私たちにとって良い例になるでしょう。創造主の神様のことを知ることと、イエス様を信じて神様の子供とされること、これらは、人生にとって一番大切なことだと思います。」

次回の手芸クラブは11月18日の予定です。ヒッメリという、フィンランドのクリスマスの飾りです。詳しくは、少し後、スオミ・キリスト教会のホームページの案内をご覧ください。

吉村宣教師の聖書研究会「ヘブライ人への手紙」3章

「ヘブライ人への手紙」の学びは、宣教師の夏期一時帰国があったため、今日再開となりました。3章は、旧約の偉大な預言者モーセとそれを遥かに上回って偉大なイエス・キリストの対比で始まります。ギリシャ語原文に依拠しながら見ていくと、一方の偉大さは被造物の中に留まり、他方の偉大さは被造物の上に立つ偉大さ、創造者の側に立つ偉大さが、訳よりももっとはっきりすることが指摘されました。

7節から後は、出エジプト記の荒野の40年の出来事が反面教師として述べられています。これは、興味深いことです。なぜなら、旧約の伝統、ユダヤ教の伝統では出エジプトの出来事は、大方は神がイスラエルの民を解放した偉大な出来事として位置づけられるのに、ここでは不信仰が何をもたらすかと言う教訓として扱われているからです。宣教師の解説の後でも、出エジプトの出来事がキリスト信仰者の生き方にとってどんな意味を持つかということが参加者の間で話し合われました。

heburaijinhenotegamisanshou

9月のフィンランド家庭料理クラブの報告

フィンランドのお菓子パン、プッラ、pulla, voisilmapulla強い日差しの中にも、秋の気配が漂う穏やかな土曜日の午後、
「家庭料理クラブ」はバタープッラを作りました。

最初にお祈りをしてスタートです。

今回は生地の硬さを見ながら、小麦粉を足していく、
フィンランド流の柔らかな生地の配合に、挑戦していただきました。

小ぶりのプッラの焼き上がりに、
コーヒータイムでは、ついつい手がのびてしまう美味しさでした。

パイヴィ先生からは、お母さんの手作りのプッラの思い出や、
香りについてのお話を、聞かせて頂きました。

フィンランドのお菓子パン、プッラ、pulla, voisilmapulla

説教「この世に遣わされている私たち ―遣わされた者の生活と務めー」田中良弘 牧師

 序 父なる神さまとみ子主イエス・キリストの恵みと平安が皆様の上に豊かに与えられますように。アーメン。

暑さの続く日曜日の朝です。けれども昨日暦の上では立秋を迎えて心なしか今朝はいつもとは違って涼しさを感じます。ひぐらしも鳴きはじめました。

特に、今日は8月6日の広島原爆に続いて、9日は長崎に原爆が投下されたことを覚える日です。私たちが心から「平和を祈り求める日」です。

ご一緒に礼拝も集い神さまの恵みとみ言葉を分かち合うことができて感謝です。

 

1 先ず預言者アモスの語った言葉から学びましょう。

アモスは紀元前8世紀に神の言葉を語った旧約時代初期の預言者(続いてホセア、イザヤ)です。当時のイスラエルは繁栄していました。(そういう時代は御多分に漏れず支配階は堕落し、神の民の宗教意は希薄になり、道はの退廃していました)。そのような時代にアモスは預言者として登場しました。しかし王の祭司アマツヤはアモスを否定し、排除しようとします。

 

今日の日課に語られているアモスの言葉です。

「アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。主は家畜の群れを追っているところから、わたしを取り、『行って、わが民イスラエルに預言せよ』と言われた。今、主の言葉を聞け。」と。

またアモスの語った忘れえない言葉(8:11~12)があります。

「見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく、水に渇くことでもなく、主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。人々は海から海へと巡り、北から東へとよろめき歩いて、主の言葉を探し求めるが、見いだすことはできない。」

こうした旧約聖書のみ言葉が、今日の福音の序章になっています。

またこれは私たちの生きている現代社会への痛烈な預言者の言葉である。

主イエスの荒れ野における誘惑の最初も、「(あなたが)神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』。

今の時代に、宣教(神の言葉を語ること)が如何に必要であり、緊急な課題であることか!を学びたいと思います。

 

2 今日の福音書の主題は「主イエス宣教と12人の弟子たちの派遣」です。

 

◎「神の宣教と12弟子の派遣」(6:6b~7)

<特に、6bの最初の部分に注目しましょう!>

「イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった」とあります。

イエス・キリストご自身が宣教なさるのです。神の国、教会の宣教はここにあります。主イエス・キリストの宣教です(Missio dei)。私たちはその宣教に手足となって与らせていただくのです。宣教の主はあくまで主イエス・キリストです。主の宣教のの具体的な姿<マルコ1:15:主イエスの伝道開始>を想起しましょう。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(1:15)。主イエス・キリストの伝道(宣教)の内容は言うまでもなく十字架と復活にあります!

 

◎続いて12弟子の派遣につながります。弟子→使徒(遣わされた者)。

弟子は「二人ずつ」派遣されました。互いに助け合い、共働の必要性があります。これは現在の私たちの教会にも必要なことがらです。

また、「汚れた霊に対する権能」が与えられました。=人知を超えた霊の力。

“使徒”言行録を見ると使徒たちの宣教の使命と誇りを知ることが出来ます。

 

3「宣教の旅装と生活の規定」(6:8~9)

◎「杖一本のほか何も持たない」=これは厳粛な命令であります。

パン(食糧)も、袋も(頭陀袋=喜捨を乞う)、金銭も持つな!

「さらに下着は二枚着るな!」=余分な衣服を持つな。

 

◎主イエス・キリストは言われました(マタイ6:25~34)

空の鳥、野の花を見よ!=先ず、神の国と、神の義を求めよ!

そうすれば、一切が、与えられ、保証されるのです。

これがキリスト者の生活の原型(プロトタイプ)であります。

 

4「神の言葉の宣教と諾否―然りか否か―」(6:10~11)

◎「ある家に入ったら・・・その家に留まりなさい」=主イエスの時代から、初代教会そして今においても、家は宣教(伝道)の拠点であります。

初代教会においては「家庭集会」が重んじられました。

参照してください。

ペトロ=シモンの家→コルネリウスの家での宣教(使徒9、10章)。

パウロ=マケドニア伝道:紫布の商人、リディアの家から。(使徒16章)

    アジアで禁止、ヨーロッパ宣教の開始<無理に承知させた>。

 

◎宣教の結果は、福音を受容(アーメン)か、否(足の裏の埃)かである。

神の言葉に聞き従う人が、群れが起こる場合、そこには神の国が現実に生起するのです。神の大きな愛と恵みが現実のものとなります。

しかし、神の言葉に聞き従わない者の人生は、その人の責任です。

 

5「派遣の目的―宣教と癒し」(6:12)

◎先行する現実=神の国は近づいた!(恵みの現在性、現存性である!)

神の言葉が語られる時にそこには恵みと力があります。祝福が与えられます。

 

◎悔い改めて、福音に与るのである。

悪霊の追い出しと病の癒し!=まさに奇跡の顕在化である。

 

5 使徒書(パウロ特有の言葉)=「神の秘められた計画」(1:9)

しばしば人の目には「隠されている」のです。先々週、私は「メシアの秘密」について話した。神の愛・恵みに触れることなしには、神の知識と出来事は人の目に隠されているのです。

 

※ ホスピスで自ら“無宗教・無信仰”という婦人は最後に「聖書を学ぶべきであった!けれども、もう遅い」と言いました。

私は「ルカ23:39~43にある三本の十字架物語」を語りました。

十字架にかけられた一人の犯罪人は:イエスを“ののしった”。しかしもう一人は「お前は神をも恐れないのか!御国で私を思い出して下さい」と言いました。

主イエス・キリストは言われた「あなたは今日私と一緒に楽園にいる」と。

 

※ 結語 私たちもこの世に生を受け、この世に遣わされています!

  神の愛と恵みに生きることを優先したいと思います。アーメン。

 


聖霊降臨後第11主日礼拝  2015年8月9日

聖書日課 アモス7:10~15、エフェソ1:3~14、マルコ  6:6b~13