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聖書の学び | 日本福音ルーテルスオミ・キリスト教会 / 中野区 – 東京

聖書の学び

読書会:木村長政 名誉牧師

「放蕩息子の帰郷」(H.ナウエン著)弟息子の帰郷に続いて兄息子の帰郷の最後の場面にきました。兄の心の葛藤を木村先生から解説していただきました。

「復活の日の再会の希望」、月刊「るーてる」5月号掲載:吉村博明 宣教師のバイブル・エッセイ

復活の日の再会の希望

 聖句
「死んだ者にも福音が告げ知らされたのは、彼らが、人間の見方からすれば、肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊において生きるようになるためなのです。」
(第一ペトロ4章6節)

 新共同訳のこの御言葉は、福音を告げ知らされずに死んだ者も皆、永遠の命に与るという誤解を招きかねない。ギリシャ語原文を見ると、死者にも福音が告げ知らされたのは二つの目的のためだとはっきり書いてある。一つは、「肉体を有する人間と同じように裁きを受けるため」という目的、もう一つは、「神と同じように霊的な者として生きるため」という目的だ。新共同訳では最初の目的が抜け落ちてしまっている。次に、「裁きを受ける」の意味をどう捉えるかが重要だ。「(有罪無罪を決める)審判を受ける」と解すれば、死者に福音が告げ知らされたのは「人間と同じように審判を受け、(無罪とされた者が)神と同じように生きるため」ということになる。
 また、「有罪判決を受ける」と解すれば、「死者のある者は人間と同じように有罪判決を受け、別の者は神と同じように生きるため」ということになる。この二つの意味を合わせてみれば、死者にも福音が告げ知らされたのは、「人間と同じように審判を受け、その結果、ある者は有罪判決を受け、別の者は霊的な者として生きるため」ということになる。

イエス様は十字架の死から復活までの間、死者が安置されている陰府に下ってそこで福音を告げ知らせた。その結果、そこでも死と罪に対する勝利が響き渡り真理として打ち立てられることとなった。死者も審判の結果次第で永遠の命に与れるようになるために福音が告げ知らされた。これは、生きている者の場合と全く同じである。つまり、福音の告げ知らせについても審判や判決についても、死んだ者は生きている者と同じ立場に置かれることになったのだ。従って、「この世で福音を告げ知らされずに死んだ者は全員、炎の海に投げ込まれる」と言うのも、「全員が天国に行ける」と言うのも同じくらい真理に反する。

ここで大きな問題が立ちはだかる。死んだ人というのはルターの言うように復活の日・最後の審判の日まで安らかな眠りについている者である。その眠っている人がどうやって福音を告げ知らされてイエス様を救い主として受け入れるか否かの態度決定ができるかということだ。福音を告げ知らせたというのは、告げ知らせる側が相手に態度決定を期待するからそうするわけだ。態度決定が生じないとわかっていれば、告げ知らせなどしないだろう。しかし、眠っている者がどうやって態度決定できるのか?ここから先は、全知全能の神の判断に委ねるしかない。生きている者が行う態度決定に相当する何かを神は眠っている者の中に見抜かれるのであろう。それは人間の理解を超えることなので我々は手を口に当てるしかない。神は最後の審判の日に生きている者と死んだ者全てについて記された書物を開き、イエス様との関係がどのようなものであるか一人一人について見ていかれる。

キリスト信仰者も信仰者でなかった者もこの世を去ると、福音が響き渡って真理として打ち立てられたところに行って眠りにつくのであり、全てを見抜かれる神は最後の審判で最終判断を下す。果たして、信仰者でなかった方との復活の日の再会は叶うのか?しかし、そう心配する信仰者本人はどうなのか?神はこの私にはどのような判断を下されるのか?この、まさに足元が崩れそうになる瞬間こそ、キリスト信仰者の特権を思い出すべき時である。それは、この世の生の段階でイエス様を唯一の救い主と信じて告白すれば、復活の日に新しい体と永遠の命を与えられるという希望を持って生きられる特権である。そして、その希望の内にこの世を去ることができるという特権である。この希望は、主の十字架と復活に根拠を持つ、揺るがない希望である。

もしあなたが復活の日に誰かと再会する希望を持つならば、この世で福音を告げ知らされてイエス様を救い主と信じた以上は、最後までその信仰に留まるしかない。再会を願ったその人が天の祝宴の席に着けて、肝心のあなたが着けなかったら、元も子もないではないか?

聖書研究会:木村長政 名誉牧師

今日の聖書研究会は黙示録19章を学びました。19,20章は神様のみ業が成就する様子が描かれている箇所であると先生が述べられました。10節にある「イエスの証は預言の霊なのだ」について吉村先生とH姉から含蓄ある解説をいただきました。

 

吉村宣教師の聖書研究会「ヘブライ人への手紙」3章

「ヘブライ人への手紙」の学びは、宣教師の夏期一時帰国があったため、今日再開となりました。3章は、旧約の偉大な預言者モーセとそれを遥かに上回って偉大なイエス・キリストの対比で始まります。ギリシャ語原文に依拠しながら見ていくと、一方の偉大さは被造物の中に留まり、他方の偉大さは被造物の上に立つ偉大さ、創造者の側に立つ偉大さが、訳よりももっとはっきりすることが指摘されました。

7節から後は、出エジプト記の荒野の40年の出来事が反面教師として述べられています。これは、興味深いことです。なぜなら、旧約の伝統、ユダヤ教の伝統では出エジプトの出来事は、大方は神がイスラエルの民を解放した偉大な出来事として位置づけられるのに、ここでは不信仰が何をもたらすかと言う教訓として扱われているからです。宣教師の解説の後でも、出エジプトの出来事がキリスト信仰者の生き方にとってどんな意味を持つかということが参加者の間で話し合われました。

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吉村宣教師による聖書研究会

 前回始まった「ヘブライ人への手紙」の学びは、今日は2章についてでした。1章では、イエス様は天使を超える存在であることが強調され、まさに天の父なるみ神と同列な方であるイエス様が読者の目の前に現れました。

 2章はとても対照的です。そのイエス様が肉と血をまとって人間となられ、十字架の上で死を被ることで、死をもたらす悪魔を一緒に滅ぼし、人間を死の奴隷状態から解放する道を開きました。

 しかし、それだけではなかったのです。この天の父なるみ神と同列の方は、血と肉をまとったがために、人間と同じように試練を受け、人間と同じように苦しむことを知ったのです。それだからこそ、試練を受けている人たちのことがわかり、助けることができるのです。これが、私たちの救い主なのです。この、天の父なるみ神と同列の方が、私たちと同様に試練に遭われた、というテーマは、4章でまた繰り返されます。

 本日は、話し合いや質問の時間がとても活発で、イエス・キリストがユダヤ教やイスラム教でどう扱われているかとか、ヘブライ語とギリシャ語の旧約聖書の成り立ちや違いについて、また当時の地中海世界のユダヤ教徒の言語的帰属等についていろいろ話が及びました。

聖書のヘブライ人への手紙2章

吉村宣教師の聖書研究会(ヘブライ人への手紙)

 毎月の第4主日は吉村宣教師が担当する聖書研究会があります(今月は第五主日)。今回からは、「ヘブライ人への手紙」を一緒に学びます。

 初回の今日は、同手紙の概説の話を聞き、第一章について学びました。この、旧約聖書をふんだんに使いこなしながら、キリスト教徒を親身に、時には厳しく時には励ましをもって導こうとする著者は、どんな背景を持つ者か、どのような状況にある教会の信徒に書いているのか等が概説の主眼でした。

 第一章を通して、キリスト信仰者は、天使の実在を信じても、それを崇拝してはならないこと、崇拝の対象はあくまで父、御子、聖霊の三位一体の神であることを確認しました。

ヘブライ人への手紙

「天使たちは皆、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになっている人々に仕えるために、遣わされたのではなかったですか。」ヘブライ人への手紙1章14節

聖書研究会

毎月第2主日礼拝の後は木村先生による聖書研究会が開かれています。本日から「ヨハネの黙示録」を学ぶことになりました。キリスト教の受難時代を背景に書かれた「ヨハネの黙示録」は私たちには大変難解な書でもあります。木村先生はこれから私達に分かりやすく読み解きをしてくださいます。

聖書を開きましょう「絶えず祈りなさい」、パイヴィ先生

絶えず祈りなさい、パイヴィ先生の聖書研究 (PDFファイル)

聖書を開きましょう「助けて下さる主、旅人の歌、その3」 パイヴィ先生

1.導入

来月の総会で、スオミ・キリスト教会の新しいテーマ聖句を決定することになりますが、 その前にもう一度、去年選ばれた御言葉を学びましょう。その聖句は聖書のどちらに書いてあったでしょうか。
詩編121編1節〜2節です(旧約聖書 p.968)。
では、初めに、テーマ聖句をご一緒に思い出しましょう。
1 目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。
  わたしの助けはどこから来るのか。

2 わたしの助けは来る/天地を造られた主のもとから。

テーマの元と成っている詩編121編は「旅人の歌」とも呼ばれています。今日は、詩編の2節に注目しましょう。2節は短いですが、それには二つの大切な約束が含まれています。最初に、「わたしの助けが来る」という約束です。そして、続けて、わたしの助けは天地を造られた主のもとから来るということも明らかに記されています。世界をお造りになった方は全能で全てのことを支配されているお方ですから、その方に助けていただければ、心配はないでしょう。これほど素晴らしい約束があれば、みんなは煩う事を止められるでしょう。けれども、現実は違います。今回、聖書を開いて、二つの質問を考えたいと思います。一番目は、なぜ人は天地を創られた主から助けを求めないのか、二番目に、私たちを助けたい主はどんな神様か、ということです。

 

2.なぜ人は神様から助けを求めていませんか

みんなが父なる神様から助けを期待しているわけではないのです。まだ聖書を知らない人もかなりいると思いますが、聖書を知る者の中でも、天地の造り主を信じていない人は少なくではないでしょう。
1.ガラテヤの信徒への手紙 / 4章 8節〜9節を読みましょう(新約聖書 p.347)。
8 ところで、あなたがたはかつて、神を知らずに、もともと神でない神々に奴隷として仕えていました。
9 しかし、今は神を知っている、いや、むしろ神から知られているのに、なぜ、あの無力で頼りにならない支配する諸霊の下に逆戻りし、もう一度改めて奴隷として仕えようとしているのですか。

この箇所によると、人々は神でないものを神として拝んでいるということです。神様を知らない人だったら、そのようなことは当たり前でしょう。けれども、キリスト者になった私たちにも、そのような危険があるのではないでしょうか。私たちはキリスト者になっても、まだ罪人なので、もともと神でない神々を拝みがちです。では、罪に堕ちた人間は、例えば、どんなものを神として捉えるでしょうか。4つの面から考えてみましょう。

一番目に、罪の一つは、人間は神様の変わりに、自分の力と知恵に頼ることです。
2. エゼキエル書 / 28章 1節〜2節(旧約聖書 p.1340)
主の言葉がわたしに臨んだ。人の子よ、ティルスの君主に向かって言いなさい。主なる神はこう言われる。お前の心は高慢になり、そして言った。『わたしは神だ。わたしは海の真ん中にある神々の住みかに住まう』と。しかし、お前は人であって神ではない。ただ、自分の心が神の心のようだ、と思い込んでいるだけだ。
3.ハバクク書 / 1章 11節(旧約聖書 p.1464)
彼らは風のように来て、過ぎ去る。しかし、彼らは罪に定められる。自分の力を神としたからだ。(イザヤ書 / 26章 12節を参考に読んで下さい。旧約聖書 p.1099、「主よ、平和をわたしたちにお授けください。わたしたちのすべての業を/成し遂げてくださるのはあなたです。」)

二番目に、人は金銀や財産などを偶像礼拝としてしやすい者だということです。
4.箴言 / 11章 4節 (旧約聖書 p.1004)
怒りの日には、富は頼りにならない。慈善は死から救う。
5.エゼキエル書 / 7章 19節〜20節(旧約聖書 p.1304)
19 彼らは銀を外に投げ捨て/金は汚れたものとなる。主の怒りの日には、銀も金も/彼らを救うことができないからだ。銀も金も、彼らの飢えを鎮めることができず/腹を満たすこともできない。かえって、それは彼らをつまずかせ罪を犯させた。
20 彼らは美しい飾りを驕り高ぶるために用い/憎むべき忌まわしい偶像を造った。それゆえ、わたしはそれを汚れたものとし

三番目に、将来のことを心配している人には占いをする誘惑があります。人は、例えば、トランプとか夢とか星占いなどで自分の未来はどんなものかと知りたがるのです。ある人は占い師の店に行って、お金を支払って占いをしてもらおうとします。占いの他に、直接に死者に伺いを立てる人、それから、霊媒を通して死者に伺いを立てる人もあるでしょう。けれども、聖書はそのようなことについてどのように教えているか調べてみましょう。
6.申命記 / 18章 11節  (旧約聖書 p.309)
呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない。
7.ゼカリヤ書 / 10章 2節  (旧約聖書 p.1490)
テラフィムは空虚なことを語り
占い師は偽りを幻に見、虚偽の夢を語る。
その慰めは空しい。
それゆえ、人々は羊のようにさまよい
羊飼いがいないので苦しむ。
(英語の聖書 「People consult idols and fortunetellers, but the answers they get are lies and nonsense. Some interpret dreams, but only mislead you; the comfort they give is useless. So the people wander about like lost sheep. They are in trouble because they have no leader.」)
8.イザヤ書 / 44章 24節〜25節 (旧約聖書 p.1134)
24 あなたの贖い主/あなたを母の胎内に形づくられた方/主はこう言われる。わたしは主、万物の造り主。自ら天を延べ、独り地を踏み広げた。
25 むなしいしるしを告げる者を混乱させ/占い師を狂わせ/知者を退けてその知識を愚かなものとする。
死者に伺いを立てることは滅多にないことかもしれませんが、それは死者の霊魂を拝むこととか死者に祈ることとはあまり違いないことです。神様の代わりに、自分の力と知恵に頼ることも、金銀や財産に頼ることも、死者に頼ることも、占いをすることも偶像礼拝です。その上に、

四番目に、人は自分の手で偶像を造り、それを拝もうとします。 9.ハバクク書 / 2章 18節〜19節 (旧約聖書 p.1467)
18 彫刻師の刻んだ彫像や鋳像/また、偽りを教える者が何の役に立つのか。口の利けない偶像を造り/造った者がそれに依り頼んでも/何の役に立つのか。
19 災いだ、木に向かって「目を覚ませ」と言い/物言わぬ石に向かって「起きよ」と言う者は。それが託宣を下しうるのか。見よ、これは金と銀をかぶせたもので/その中に命の息は全くない。
神様は全てのことを支配され、神々の上に権威を持っておられます。十戒の中で、1番目の戒めは何でしたでしょうか。
10.出エジプト記 / 20章 3節〜5節 (旧約聖書 p.126)
3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。
4 あなたはいかなる像も造ってはならない。上は天にあり、下は地にあり、また地の下の水の中にある、いかなるものの形も造ってはならない。
5 あなたはそれらに向かってひれ伏したり、それらに仕えたりしてはならない。わたしは主、あなたの神。
偶像礼拝をする人たちはこの戒めを守りません。天地を創造された全能の神様を唯一の神様として尊敬しません。けれども、聖書は私たちに偶像を作らないように、また偶像礼拝をしてはいけないと戒めていますよ。そしてその代わりに、 生きておられる神様が私たちを助けて下さることに信頼するようにと教えています。

 

3.私たちを助けたい主はどんな神様ですか

私たちを助けて下さる神様は、詩編121編の2節にも書いてある通りに、どんな主なのでしょうか。先ほどお話した通りに、主は創造の主です。(エレミヤ書 / 51章 15〜19節を参考に読んで下さい。)

万物の創造者である万軍の主は小さな人間のことをどのようにしてくださいます。 11.イザヤ書 / 46章 3〜9節  (旧約聖書 p.1137)
3  わたしに聞け、ヤコブの家よ/イスラエルの家の残りの者よ、共に。あなたたちは生まれた時から負われ/胎を出た時から担われてきた。 
4  同じように、わたしはあなたたちの老いる日まで/白髪になるまで、背負って行こう。わたしはあなたたちを造った。わたしが担い、背負い、救い出す。
5  お前たちはわたしを誰に似せ/誰に等しくしようとするのか。誰にわたしをなぞらえ、似せようというのか。
6  袋の金を注ぎ出し、銀を秤で量る者は/鋳物師を雇って、神を造らせ/これにひれ伏して拝む。
7  彼らはそれを肩に担ぎ、背負って行き/据え付ければそれは立つが/そこから動くことはできない。それに助けを求めて叫んでも答えず/悩みから救ってはくれない。
8  背く者よ、反省せよ/思い起こし、力を出せ。
9  思い起こせ、初めからのことを。わたしは神、ほかにはいない。わたしは神であり、わたしのような者はいない。

けれども、偶像礼拝をしてしまった罪人の私たちに対する主のみ心はどんなものでしょうか。主は私たちを罪から救おうとして下さるのです。
12.ヨエル書 / 3章 5節 (旧約聖書 p.1425)
しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。
それがどんなに素晴らしいものであっても、霊的なことや宗教的な儀式は、私たちを死と罪と悪魔の力から救うことは出来ません。神の御子、主イエスだけが救い主です。私たちはイエス・キリストによって神様の子供になれます。
13.エフェソの信徒への手紙 / 1章 5節 (新約聖書 p.352)
イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。
最後に、イザヤ書54章10節を読ませて頂きます。(旧約聖書 p.1151)。
山が移り、丘が揺らぐこともあろう。しかし、わたしの慈しみはあなたから移らず/わたしの結ぶ平和の契約が揺らぐことはないと/あなたを憐れむ主は言われる。

まとめましょう。

心配や恐れのある時、目を上げて、わたしは主の住まいがある天を仰ぎましょう。私たちの助けはそこから来ます。私たちの助けは天地を造られた主、私たちの救い主のもとから来ますから。

クリスマスツリーの物語と聖書の学び、パイヴィ先生

クリスマスツリーの物語とパイヴィ先生の聖書研究会(PDFファイル)

  • 来週の礼拝:2019年7月21日  聖霊降臨後第6主日 2019年7月14日
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  • 説教:神学博士 吉村博明 宣教師(SLEY) 2019年7月14日
    主日礼拝説教 2019年7月14日(聖霊降臨後第5主日)スオミ教会   ヨナ4章1-11節 ガラテア5章2-26節 ルカ9章51 62節   説教題 「神の愛と人間の悔い改め」         私たちの父なる神と主イエス・...
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  • 説教:木村長政 名誉牧師 2019年7月7日
      コリント信徒への手紙 9章1~7節             2019年7月7日(日)               「復活のキリストを信じる」                                   今回も、パウロが伝道しました、コリント教会へ宛てた手紙を読んでい...
  • 交わり 2019年7月7日
    先週の新会堂の説明会の続きです、工務店から提出された金額が教会の予算をかなりオーバーしていました。その超過した分ををどう解決したかを説明しました、この後の役員会でさらに検討を重ねて工事金額が決定されます。9月8日の主日礼拝を新会堂で行うことを目標にさらに前進しました。...
このサイトに引用されているのは聖書新共同訳です。
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  • 7月 21日 10:30 am
    主日礼拝
    司式・説教田中良浩牧師「心は神に、手は人に」(ルカ10章25~37),礼拝後交わり。
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